40代での再就職は難しいのか。
最近は、「40代での再就職は難しいだろうと思って拾ってやったのに」という言い方をする人がいるようですね。
そのようなことが話題になることこそ、年齢差別ですね。
近年では、年金支給が65歳から70歳に引き上げられるという話があり、それに伴って定年も70歳になる日も近いかもしれない。ましてや、寿命が延びてきているせいで、会社の定年はなくなり「無期雇用」をうたっている会社も多数あります。
そのような中、40代での転職は、今後30年、40年も働ける即戦力の人材です。その人たちに対して「40代での再就職は難しい」などということが言えるでしょうか?
以前にも記事にしましたが、もしこの国が地方の活性化を目標としているなら、U-ターンやI-ターンの人材が必要なはずなのに、これから子育ても頑張りたいという地方在住希望者に対して「40代での再就職は難しい」などという年齢差別をしている時点で、地方には働き盛りの人たちは来なくなるのでしょうね。
そして、年代に見合ったある程度のお給料を出さなければ、どうやって家族を養っていくのでしょうか?40代になって親の介護のためにフルタイムの仕事を2個掛け持ちしている人が大勢いるということを記事にしましたが、それが当たり前の世界なのでしょうか?それなら、最初からある程度お給料が高く、一つの仕事で家族を養える手取りがある方が賢い選択だとは思いませんか?
また、学歴がある人は、30代、40代になっても大学の借金がある人もいるでしょう。彼らはその金額を返済しなければいけません。そのためにはある程度高い給料を欲しがることも当然ではありませんか?私の知る大学は、一年間の学費だけでも250万円から300万円くらいはかかりましたし、大学は1年で卒業することはできません。
この国で「40代での再就職は難しい」という議論が持ちあがることや、また40代で年収400万、500万円が妥当だという思っている人がいる時点で、きっと多くの人材は海外に流れているのかもしれませんね。あまり低り年俸では、家族を作るな、親の介護は忘れてくれ、と客観的に言っているようなものです。
雇う側も、自分が城の王様だと思っているようですが、働いてくれる人材がいなければ会社は成り立ちません。社長が従業員を安く使おうと考えている時点で、ただの『王様と奴隷』ではないですか。会社とは、社員全員で作っていくものです。そして、社長や投資家だけでなく従業員も全員が潤うべきだと思いませんか。しかし、そのような考え方ができない限り、貧富の差は広がり、社長の給料は1億も2億もあっても、従業員は時給850円で雇っていたりするのではないでしょうか。
米国の会社でも、従業員にしっかりお給料を払う会社は、利益率も高く成長も早いですよね。逆に従業員にしっかり払わない会社ほど、利益率も低く会社が不安定な場合があるように見受けられます。社員に対する待遇は、会社そのものの成長にも比例してくるということなのかもしれませんね。
それこそ、ここ20年、日本の企業の成長が止まった理由なのかもしれませんね。わたしは20年ぶりに日本に帰国して、40代のお給料が、アメリカの初任給とほぼ同じであるという現実に驚きました。それでは、この国がますます貧しい国になっているはずです。家族を養えるだけのお給料が稼げないのなら、出生率が下がるのも当然です。
フルタイムの仕事をしながら生活が苦しいなら、そのお給料は妥当な金額ではない。フルタイムの仕事を2つもたなければ、親の介護費(老人ホームの費用)が払えないという現実は、その給料は妥当な金額ではない、ということに気がつかなければいけません。
誰かの洗脳により、「あなたの給料はXXが妥当」と思わされているだけかもしれません。そうすれば、雇う側はあなたをより安く使うことができますからね。そのような国全体的な洗脳により、この国は成長をやめ、国民をどれだけ安く雇えるかしか考えることができず、世界から置いていかれているのでしょう。
日系会社と外資系会社では、「年齢」に対する考え方が違う
日本企業の場合、年齢や性別に対していろいろな意見があるようですが、外資系の会社はそこに偏見はありません。
例えば日系会社の日本人リクルーターと話すのと、外資系会社の外国人リクルーターと話すのでは、話の内容が全く違います。
日本人は40代は中途採用に対して年齢が問題だと言いますが、外資系の英語リクルーターと話すと、55歳過ぎする多少問題はあるかもしれないけれど、40代は何の問題もないという回答が返ってきます。
その時点で、日系会社と外資系会社の年齢に対する差別の現状もわかります。
そしてももちろん、同じような内容の仕事でも、日系と外資系では200~300万円以上の年俸の差があります。
最近は年齢差別や女性差別の問題も大きく取り上げられていますが、そのような状況の中、再就職で苦労している方がいるのなら、外資系の会社を見てみるのも良いかもしれませんね。
子育て後に再就職をしたら年収が初任給になるとしたら、誰も子供を産みたくない
世の中には、色々な事情により会社から離れる方がいます。
・子育てに集中するために、仕事をしない時期がある方
・病気治療のために、会社から離れなくてはならなかった方
・親の介護をするために、会社から離れた方
・個人で事業をするために、会社から離れた方
世の中にはいろいろな人がいて、それぞれにいろいろな事情があるのです。
そのように、何かしらの事情で会社から離れ再就職しようとしたときに、初任給以下のお給料しかもらえない現状は、絶望の社会です。
怖くて自分の子供の子育てもできない、新しいことにもチャレンジできない、病気になっても検査にも行きたくない(コロナになっても、コロナ検査をしたくない)、という状況ではありませんか?
そうやって、色々な事情がある人を切り捨ててきた社会が資本主義であり、貧富の差の拡大であり、それがいまの世界なのでしょうね。
仕事ができる人、できない人とは、どんな定義?
そもそも、仕事ができる人、できない人とは、どんな定義なのでしょうか。
宇宙は存在しないのに、その空想の理論でお金を作り出している人は、仕事ができる人ですか?それとも、詐欺師ですか?
原価100円の物を、ブランドということで1万円で売ることは、仕事ができる人ですか?詐欺師ですか?
人は、何を基準にして「仕事ができる人」というのでしょうか。
税金も同じです。日本銀行券を配って、また回収(税金)することは矛盾していると思いませんか?
それは、日本銀行券をリンゴに例えてみたら分かりやすいと思います。りんごを木からとって、税金としてリンゴを回収。そんなことをするより、最初から税金分のリンゴは木からとらなければいい。
要するに、世の中に必要のないことに対して仕事を作り出していること自体、無意味ではありませんか?何をもって仕事ができる、できないと言えるのでしょうか。
わたしたちは、この世の矛盾に気がつかなければいけませんね。
また、それは、先ほど話しましたように、理由があって社会から離れた人への扱い方も真逆になるべきではありませんか?
・子ども生んだ人:将来の働き手を生まれた方
・入院生活をしていた人:病院を儲けさせてくれた人
・親の介護をしていた人:人手不足の介護業界の現状を和らげてくれた人
・個人で事業をした人:新たな雇用やお金の流れを作り出した人
なぜ、そのような人が再度会社という組織で働こうとしたとき、社会から偏見の目で見られなければならないのか。
世の中には色々な偏見が存在していて、自分が生きてきた価値観だけで人を批判したり、その意見を言葉に出すことはどうかと思います。ただ思っているのと、言葉に出すのでは大きな違いがありますからね。
いずれにせよ、従業員をいかに安く雇えるかしか考えていない会社があるようなら、社会が豊になるはずもありませんね。雇われる側は、いつまでも貧しい状況にいることになるのですから。しかし、会社は雇う側と雇われる側の両方がいなければ、成長できいないはずなのに。。。