新しい時代を築くには、古い時代を終了されなければいけない。コロナ禍は、新世界が生まれる前の生みの苦しみの時代
最近はヨーロッパで、コロナ第二波に対するロックダウン(都市封鎖)が始まり、それに対して多くの方々が「自由」を求めるプロテストを行っている様です。
自由を求める人々と、警察や軍隊の様に銃を持つ武装した人々が衝突しているようです。
自由を求める人は、今まで通りに自由に商売ができる自由な経済活動ができる社会を望んでいる様です。
しかし、今まで通りの資本主義では、今まで通りお金持ちはもっと裕福になり、労働者層はいつまでたっても労働者のままで、貧富の差が開くばかりではないでしょうか。
この国でも、戦後は国を挙げて経済発展のために努力をしてきて、国民が全体的に中間層(特別裕福でもなく、特別貧しくもなく)という状態が続いてきましたが、インターネットの発展に並行して貧富の差が広がり始め、富裕層と貧困層ができてきてしまいました。
ですから、30年前には存在していなかった「子供食堂」というコンセプトが今の社会では当たり前の言葉になるほど、ご飯を食べることができない子供たちがいる社会になってしまいました。
そして、今年になり世界中がコロナ禍に陥り、自粛や都市封鎖が行われる様になり、世界中の多くの人は今までの生活に戻りたい!ということでプロテストをしています。
しかし、「今までの生活」が本当に幸せな社会の在り方なのでしょうか。
そこでここでは、過去数百年の歴史を振り返りながら、「変わっていくことの大切さ」について見てみましょう。
時代が変わる時には、社会に大きな変化が生まれ、新しい価値観が生まれる
人は、今まで経験してきた世界に生きることが一番心地よく、未知への変化を好まないのかもしれませんが、2019年までの世界のままなら、世界中が嘘に騙され、その嘘の仕組みを作った人々だけが勝ち組と呼ばれる地位や、名誉や、お金を得ることができる立場に存在し続けることになります。
2020年2月からコロナが発生し、コロナの致死率が非常に低いことが判明するようになってから「このコロナ騒動が新世界秩序への第一歩だ!」という声が世界中で挙がっています。
しかし、これから築く新しい世界において、その新しい世界がどのようになろうとも、今までの世界を一度壊さなければ新しい世界を生み出すことは出来ません。
それは、この国でも経験してきたことで、150年前に江戸時代の社会の在り方を壊したから、今、私たちが生活しているような社会の在り方が明治維新後から作られたように。
今では当たり前になった東京証券取引所が明治維新後に設立され、資本主義の社会が形成されていったのです。
また、徳川家康が日本の中心を東京に移したから、豊臣秀吉までの日本の中心が大阪ではなくなったとか。。。
もちろん、それ以前は日本の中心は京都であったり、鎌倉であったり、奈良であったり。。。そのような歴史を繰り返してきてるのです。
しかし、今後の改革では中央省庁を地方分散することが新しい社会の構成することになればよいと思います。
何が言いたいのかと言いますと、新しい世界を築くときには、今までの社会を壊し、新しいものを作り出さなければいけない、ということです。
人間の身体の生命の誕生も同じコンセプトです。
胎児は母のお腹から出ることで、新しい生命として誕生することができます。母親が子供をいつまでも体内に入れておくことは不可能で、胎児が体内からいなくなることは終わりではなく、新しい誕生ですよね。
その様に、世界は今までと同じ状況を維持し続けることは不可能で、ある一定時期を過ぎると、新しいものが生まれてくるのです。
そして、今のこの時期が変革の時であり、私たちは、時代の移り変わりを体験している状況にいます。
コロナ禍の後の世界をどのようにするかは、私たちが決めることができるのです。
その変化への主導権を持った人の意向に世界は動いていき、もし民主主義の資本主義がこの世界のあるべき姿だと思っている人が変化の主導権を握れば、この世界はますますその様な方向へ移行していくことになるのです。
貧富の差は益々拡大して、GAFAの様に超巨大会社のみが利益を得ることが出来る社会が確定され、その他の人は超貧困に陥っていくのでしょう。
しかし、そうではなく、全ての人が幸せになれる社会を作り上げたいと思う人が主導権を握れば、子供食堂の無くなる世界、ホームレスの無くなる世界、慈善に溢れる世界に移行していくことも可能だということです。
その様に、このコロナ禍を「生みの苦しみ(陣痛の時期)」として捉え、この変化の後、この社会をどのような世界にしてきたいかの分かれ道の時にいるのではないでしょうか。
今の社会の仕組みを理解して、間違いに気づき、そして新しい仕組みを作りだすこと
江戸時代の初期には戦国時代が終わり、平和な時代が訪れた、と人々は喜んだはずです。
しかし、時間が流れるにつれ、支配権のある人々が傲慢になり、人々を抑圧するようになったから明治維新という革命が起きざるを得なかったのだと思います。
ですから、今の時代も、お金持ちの人々が自分さえよければいいと思っている世界ですから、抑圧されてきた人々の爆発が起こるのも時間の問題であったということです。
また、この資本主義の世界では、お札を原価で買っている人がいることを理解しなければいけません。
お札はただの紙でであり、一万円札は20円で作ることができ、その一万円札を原価で買いたいなら1万円出せば500万円分の一万円札を手にすることができるのです。
その間、99%一般庶民は日々8時間以上働き、月々20万円のお給料を手にしています。大企業で働き、良いお給料をもらうことができても、月100万円、200万円かもしれません。
その様に、資本主義の仕組み「お札の社会」というのは支配層と奴隷層を作り上げてきたのです。
お札を刷るという仕組みを作った人が、お札を原価で買うことができているなら、いつまでたっても貧富の差は無くなりません。
しかし、日々の生活に追われる人は、そのような仕組みを考えることも無く、日々暮らしていくために、400円で買うことができる20万円札の為に汗水たらして働いているのです。
その様に、仕組みを作る者だけが得をする社会というのは、間違っていると思いませんか?
だから、今の資本主義社会を変えていかなければいけないのです。
そこにお金があっても無くても、人は生きていくために衣食住の確保をするのですから、もしベーシックインカム制度を作ったとしても、働くことを止めるわけではありません。
むしろ、物やサービスを売って売って売りまくらなくても、人々は満足する生活を手に入れることができ、過剰な労働や騙し合いの様な世界が無くなるのだと思います。
また、人が外へ働きに出かけるのも、人との社交の場にいたいということもあるのでしょう。
ここでお伝えしたかったことは、時代の終わりには、高慢になってしまった人々への社会の不満が募る時に新しい社会が生み出されてきたのかもしれないということです。
また、その変化の時が今の生きている時代であるということです。
新しい時代が訪れる前に経験する反乱の時代は、今のコロナ禍であることのまとめ
ここでは、ある一定期間の時代を過ぎると、社会には変化が必要だということをお伝えしました。
いつの時代も、始まりの時は新しい社会のために進むのでしょうけれど、その時代の終わりの時には社会に不満を抱える人々が増えてきた結果により時代は変化してきたのかもしれません。
今の時代も、この社会の仕組みを作った人々(政府、GAFA、医療品、エネルギー業界など)だけが得をして、その他の99%の人々が苦しむ世界になってしまったから、人々の心の不満が募っているのです。
ですから、プロテストなどで破壊や盗みが起これば、それに釣られて自分もその行為に便乗したくなるという人々がいるのでしょう。
今の資本主義社会では、一部の人だけが富裕層になり、その他の人は奴隷のように働かなければいけません。
この社会の在り方を変えて、誰もが満足できる社会に作り替える為、コロナ禍を利用して新しい理想の社会を築いていくことができるでしょう。
支配層・富裕層、王族、特権階級の無い、全ての人が平等な世界を築くことができれば、地上の封鎖空間の中で平和が生まれるのかもしれませんね。