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民主主義が選んだ資本主義、弱肉強食の世界は弱者が切り捨てられる

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この社会は民主主義を唱えており、その民意は資本主義を選んでいます。

皆さんが知っているように、今の社会では、どれだけたくさんお金を生み出せるかが重要であり、お金をたくさん持っている人が偉いと思われるような世の中になっています。

もし、不運の事故で、病気で、世帯主の死亡で、金銭的に不自由になった人がいても、それは自己責任であり、お金を作り出す能力のない人が悪い、自業自得、という社会です。それが、この国の人々が民主主義で選んだ資本主義社会です。

もし、子供が難病で手術が必要なとき、勝手に募金を募って自分でやってください、とか、

親に老人ホームが必要になったとき、フルタイムの仕事を2個掛け持ちして費用の支払いをしてください、とか、

本当にそんな世界でいいのですか?

誰もが、そのような状況になりうるのに、たまたま運悪くそのような状況になってしまった人を、自己責任で勝手にやってください、という考えの資本主義を民意で選ぶ民主主義が正しい世界ですか?

自分さえよいという考えが根本にあるから、民主主義を選んでいるようですね。 だって、多くの人は自分の心配だけして、他の人の手助けなんてしたくないですから。

でも、今困難な状況にあって、仕事を2個掛け持ちしなければ経費が払えない人や、病気の人、孤児の人、障害者の人、それらの人も民意で資本主義を選んでいるのでしょうか?

全員が健全な社会なら、誰もが自分さえ金があればいい、という考え方になるのかもしれません。となると、そのような考え方を多数決の民意で選出できてしまう民主主義は正しいことですか?

皆さんは、違和感を感じませんか?

自分さえよければいい、という自分勝手な考え方を選ぶことができてしまう民主主義は、とても危険な思考です。ですから、今の世の中は、弱者が悪者扱いされて、殺されたり、暴力を振るわれる社会になってしまっているんですね。

もちろん、国民の多数決が『どんな状況にある人にも手を差し伸べよう!』というような慈善主義を選ぶなら、民主主義は良いものにあります。しかし、もし、多くの人々の心の中に、『自分にだけに大金があれば隣の家族が貧困で困っていても自分には関係ない』というような資本主義的思想があるなら、民主主義というものはとても邪悪なものになってしまいます。

以前にもお話しましたが、民主主義が一概に正しいものであるとは言えないのは、そのような人々の心の中に隠されているのです。

資本主義から慈善主義の社会へ変更し、将来の不安が無くなる社会を形成する
今世界は資本主義を基盤にして、借金をすることによりに存在しているクレジットスコア(信用スコア)とか、使用した金額による貯まるポイント制度があります。新しい世界では、慈善活動に対するポイント制度を作れるなら将来の不安がない社会を築くことができる。
民主主義国家と言われている世界に本当の民主主義は存在しているのか
この国は民主主義国家だという人がいますが、本当に民主主義(国民の意見が反映される多数決主義)なのでしょうか?もちろん、国民に選挙権があることは民主主義が存在している様に見えますが、国民に選挙権があることが民主主義なのかを見ていきましょう。

口頭ではどんなにきれいごとを発していても、どんなにいいことをしているような演技ができたとしても、実際には、誰も人の心の中を知ることはできませんよね?

その上で、匿名で選挙をすることができる社会では、自分の心の反映することを選ぶと思いませんか?それが、普段発しているきれいごととは、真逆のことであったとしても。

『民主主義は正義だ』というような発言があったとしても、実際にその後ろにはとても大きな闇が隠れているかもしれない、ということです。

言っている、意味が分かりますか?

要するに、世間、メディア、SNSで騒ぎ立てていることと、人々の本心は一致しないかもしれない、ということです。自分の本心がそこになくても、自分の利益の為に、正義に聞こえるような「聞こえの良い発言」をするかもしれないのです。

そして、今の民主主義社会では、人々がどんなに変化を望んでいるようでも、口外していない心に秘めた「自分にさえ金があればいい」という考え方が人の心にある限り、この世界は変わることはないでしょう。

「どうせ、皆が言っていることは綺麗ごとだろう」という思っている人は、その人本人も人前では綺麗事しか発しないでしょうし、最終的には人の心がこの国の社会に反映されているのです。『弱肉強食こそ素晴らしいもので、金を稼ぐ能力のないものは無能』という多くの人の思考が現実化したものです。それが、今生きている資本主義社会です。

たとえば、公務員や大企業の従業員には育児休業や介護休業があるけれど、この国を支えている中小企業や個人事業主には、そのような福利厚生を得られる余裕はない。お金のある人が自分の利益の為だけに作り上げた『自分勝手な正義』です。聞こえは良いことでも、国民全員が利益を得られるわけではありませんね?そのような制度を国民に強制するなら、その保証を国がするべきではありませんか。財源を税金としている人間と、裕福な大企業しかそのような制度を使えないのは、おかしいですよね?

今の現状が嫌なら、大企業の社員か公務員になろう!ではなく、国民全員が幸せになるための仕組みに、自分たちが行動して変えていくしかないのです。

心の中で嫌だと思っていても、何も変わらない。SNSで文句を言ったところで、何も変わらない。(今の時代、誰かのSNS上の文句に同意したところで、一瞬で忘れられて行きますからね。)最終的には、行動しなければ何も変わらないのです。

それは、明治維新が起きた理由も同じですね。言葉の発信だけでは何も変わらなかった。特権階級族は、いつまでもその地位に縋りつきたいですからね。全く新しい世の中にするには、行動に移すしか何も変わって行くことはないのです。

明治維新も最初は民の為に良いことだったのかもしれません。しかし、その明治維新に関わった一族は、権力とお金を手に入れ、変わってしまった。令和になっても、明治維新の子孫はその権力や金も手放せない、まるで幕府の二の舞になっているということです。それは、どんな時代も同じかもしれません。平和な世の中を作りたかった徳川家康は、戦争のない江戸時代をつくり上げた。しかし、その中央政権に関わった一族は、時代が進むにつれ権力と金の維持が最重要事項になってしまった。

人は、権力やお金を手に入れると変わってしまう、ということなのでしょうけれど、こんなにも多くの反面教師があるのにもかからず、いつまでも同じことを繰り返していては、世の中が根本的によくなることはないのかもしれませんね。

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