気が付かないうちに人々の思考がコントロールされている洗脳社会の中に、民主主義があるといるのか
皆さんは、民主主義とは何かということを考えた事はありますか。
岩波国語辞典では、民主主義とは人民が主権を持ち、自らの手で自らの為に政治を行う立場。人民が自らの自由と平等を保障する生き方。と書かれています。
この国は民主主義国家だという人がいますが、本当に民主主義(国民の意見が反映される多数決主義)なのでしょうか?
もちろん、国民に選挙権があることは民主主義が存在している様に見えますが、国民に選挙権があることが民主主義なのかを見ていきましょう。
メディアの洗脳によりコントロールされた思考で投票する選挙に民主主義はあるのか
たとえば、2020年のメディアで話題になった件ですが、広島県から出馬した国会議員の河合夫婦がいましたが、彼らは広島市議会員をお金で買収しました。それを民主主義と呼ぶのでしょうか?
また、メディアにより選挙活動(広告活動)が繰り広げられ、人々の頭の中はその広告情報で洗脳され、あたかも国民に選ぶ権利が与えられている様に見えても、実際はそのメディアによる広告活動によって国民の思考が操作されているのなら、それを民主主義と呼ぶのでしょうか?
メディアに登場する人々は、「民主主義が大事である」ということを言いますが、ある一定の考え方を広域発信している時点で、そこに民主主義ではなく、単に自分の意見を大衆に洗脳活動しているにすぎないのです。
アメリカ大統領選挙では、実際の候補者は1000人以上いたそうですが、メディアに出てくるのは民主党と共和党のみ。そして、日本を含む外国メディアでも、実際には候補者が1000人以上いたことなど一切報道していません。
そこにはジャーナリズムはなく、全て操作された情報のみが人々に与えられているのです。
テレビの視聴にお金がかかっていないのだから、お金を出資して映像を作る人が情報を操作する権利がある、といえばその通りかもしれませんが、NHKは国民から受信料を徴収しているにもかかわらず、国民にとって有益になる情報ではなく、自分にとって有益になる情報しか流しません。
その様に、情報が操作されている世の中に暮らし、メディアの権力を握る人が与えたい情報しか国民には与えられず、そこに本当に民主主義があると言えるのでしょうか、ということです。
情報操作された民主主義であり、情報操作している人の意向でしか物事が動かない独裁政治ではないのか、ということです。
ですから、選挙に関しては、国民は誰かを選んでいると思い込んでいるけれど、実際は支配者に選ばれた人々から選ぶように出来ている、出来レースであるということに気が付かなければいけません。
それは、一般企業がメディアに広告を出すことも同じです。
商品やサービスが人の目に留まれば、人々はその商品を買う。だから、企業はテレビやYoutube、Facenbook などに広告を出します。
視聴者は、お金を支払う必要がなく番組を見ることができるけれど、その代わり、そこで見せられたものを買いたい衝動になるように思考がコントロールされる仕組みになっているのです。
これは表現の自由?
表現の自由の中の民主主義?
広告費を出すことができる人によるコントロールされた社会での民主主義?
メディアに出る人の口から「この国は民主主義ですから」などという発言が出たときに、考えて頂きたい。
あなたは、その発言をした人や、メディアに登場する人々の個人的な思考に影響されていませんか、ということです。
たとえば、鬼滅の刃という漫画のファンであるなら、その漫画の言葉を使う政治家に親近感と好感を持ってしまう、という心理トリックを使い、あなたの思考がコントロールされているということもあります。
また、本来なら異常な事でも、メディアがそれは「ノーマルだ!」といえば、普通のことに思えてしまったり、それは思考がコントロールされていることを言うのです。
要するに、コロナ禍で致死率0.00003%の感染症がパンデミックと定義されてしまったように、メディアの洗脳により人々は致死率0%がパンデミックだと受け入れてしまったことと同じです。
平年のインフルエンザの死亡者数については、こちらの記事をご覧ください。令和1年度:インフルエンザとその他の感染症の死亡者数の累計とは?
人はテレビで見たこと・聞いたことが真実だと信じてしまう傾向にある
戦後にテレビの普及が始まり、日本人の思考はコントロールされる様になってしまいました。
それは、先日の記事でもお話ししましたが、テレビで月面着陸の映像を見せられてから、この世界には物理的に月が存在していると思い込んでしまったようにです。実際、月はプラズマですね。
しかし、洗脳された人々は、国立大学に宇宙学を作り、独立行政法人としてJAXAも作ってしまいました。どれだけ、国民を欺けば気が済むのでしょう。。。(泣)
このように、テレビで見る情報は人を欺き、視聴者は嘘を真実だと信じてしまった状態の中で、そこに民主主義があるのですか?
世の中は、とても大きいスケールで騙されているのです。
そして、多数決で決まったことだから!といったところで、本当の自分の思考で物事を考えられない人が投票したところで、それは民主主義とは言いませんよね。
だから、大阪都構想が失敗に終わったのは、住民投票を行ったことにあります。本気で社会を変えたい時には、勝手に決めて、こうなるからよろしく!という様に進めていかなければ、時代は変わらない時もあるのです。明治維新の様に。
もし、明治維新が住民投票だったなら、明治にはならなかったはずです。
なぜなら人々は現状維持をしたいからです。
それは、先日の記事で書いています。社会が近代化して人々が生活に満足し物が溢れ始めると、世界では何が起こるか
明治維新の明治政府も、自分達は勝手に権力と富を奪ったのに、国民にはあたかも民主主義があるように見せかけた政治を作りあげたのです。
その結果、今の日本の政治の中心にも明治維新の子孫が牛耳っているのは、この国には見せかけの民主主義しかない、ということの現れです。
『どれだけ洗脳された国民を作り出すかによって出来上がる民主主義』を維持するのではなく、これからは、慈善にあふれた今までとは全く違う社会の構成をしていく時期にいると思うのです。
>>資本主義から慈善主義の社会へ変更し、将来の不安が無くなる社会を形成する
民主主義国家に本当の民主主義は存在しているのかについてのまとめ
今回は「民主主義とは一体何なのか」ということを皆さんに考えて頂きたく、記事を書きました。
自分は洗脳されていない!と思っていても、メディアで見たことは気が付かないうちに潜在意識の中で、自分の当たり前になってしまうことがあります。
自分では気が付かないうちに洗脳されている洗脳社会に生きている中で、そこに民主主義があるのか?ということをもう一度振り返ってみてください。
人々の考えること自体がコントロールされているなら、人々は誰かの手の上で踊らされているに過ぎないということです。
今ある社会の中でこうあるべきだとか、ああするべきだ、という争いをするのではなく、この社会の仕組み自体を変えてしまいませんか?という提案です。
そうしなければ、いつまでたっても99.9%の国民の為の政策は作られないのです。
国民による国民のための世界を作るには、お金のある人だけが映像を作り出して人々に見せるというやり方では、お金持ちによるお金持ちの為の政策しか出来上がらないのは当然ですね。
お金持ちの支配者層は、国民に民主主義の権利があるという様に見せかけているだけで、実際には国民による民主主義は存在していません。
という現実に気が付かない限り、この世界は変わっていきません。
本当に国民のことを考える政治をするなら、立場の弱い人々のことを考えられる全く新しい世界を作り上げようとするはずです。
そのために、どんなことが表現の自由として発せられても、社会の仕組みの根本は全ての人のためのものでなくてはならない、という基盤を作る必要があります。