有名人のコラム

作家 藤本義一『好きなことをして、心地よく疲れる』

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『心地よい疲れを満喫するために私は生まれてきている』と語る作家 故・藤本義一さん

自分の年齢でやりたいことを諦めてしまってきたことがありますよね。そして、やりたいことへの一歩を踏み出すこと自体も諦めてしまうことも多い。

そんな時、「定年を前にしてもやりたいことを始めた人がいて、それが人生に潤いをもたらした人がいる」と知ることができるなら、自分も挑戦してみようかな、という気になるかもしれません。

そんなきっかえを与えてくれるかもしれない、今はもうお亡くなりになられた作家 藤本義一ふじもとぎいちさんによるコラムをご紹介します。

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今ある自分の姿に照らし合わせて、幸・不幸は決まってくる

一つの出来事が起こったときに、それを幸福だと捉える人と、とても不幸なことだと感じる人がいます。またそのときには不幸だと思っても、その後に良かったと思い直すこともあるでしょう。今現在をどう思って生きているかによって、人の幸福感は変わってくると思うんです。

私は十二歳のときに戦災にあいました。何とか家族は生き長らえましたが、親父がやっていた商売は全滅。親父にとっては、それは幸福とは言いがたいことだったでしょう。

では私にとってはどうだったか。結果として商売がダメになったおかげで、私は好きな物書きになることができたんです。もし親父の商売が戦災にあわずに成功していたなら、当然私はそれを継がなければならなかった。自分の生き方さえ選ぶことができなかったかもしれないのです。

しかしこの幸福感は、私が曲がりなりにも作家としてやってこれたからこそ。もし作家として失敗していたなら、親父の商売が潰れたことを不幸なことだと感じていたでしょう。要するに、今ある自分の姿に照らし合わせて、幸・不幸は決まってくるんじゃないでしょうか。

「疲れ」には心地よいものと嫌なものがある

さて、このような長いスパンでの幸福感はさておき、日々の幸福とは何なのか。日常の中には「心地よい疲れ」と「嫌な疲れ」の二種類があります。そしてこの「嫌な疲れ」ほど不幸なことはありません。

同窓会などに出席すると、この年齢になるとほとんどの友人は定年を迎えています。話題に上がるのは年金の話ばかり。なんの目標もなくて、とにかく退屈な日々を送っているのがわかります。まるで人生を諦めたような顔をしていて、中にはアルコールに逃げ込む輩もいる。そして彼らは、何もしていないのに疲れ切っているんです。こんな嫌な疲れ方はありません。それこそが人間として最も不幸なことだと私は思うんです。

一方で自分の夢に向かって進んでいる人たち。それはなかなか達成されるものではありませんが、少なくともそこには心の充足感がある。そんなに疲れても、何とも言えぬ満足感がある。それこそが人間としての幸せなんですよ。

私は大学を卒業するとすぐ、シナリオライターの世界に飛び込みました。物を書く仕事がしたい。人々に感動を与えるような映画やドラマの脚本を書きたい。そんな夢を追いかけて、十年間で三千本のシナリオを書きました。単純計算すると一日に一本。とんでもない数ですよね。徹夜なんてそれこそ当たり前。もう毎日くたくたになって書いていました。それでも私は、日々心地よい疲れに包まれながら、幸せを噛みしめていました。

そして今も、相変わらず忙しい毎日を送っている。そろそろゆっくりとすればいいのにという声も聞かれますが、退屈な日々なんてまっぴら御免です。心地よい疲れを満喫するために私は生まれてきているんですから。

やりたいことを諦めない

十五年ほど前、同窓会がありました。みんなが楽しそうにしている中、Ⅿ君ひとりがうつむいていたんです。Ⅿ君は文学少年で、それこそ作家にでもなるのかと周りの連中は思ってたんです。しかし成績も優秀だったので、大手の証券会社に就職し、パリやシンガポールなどの支社長も歴任しましたが、どうも主流派から外されたということなのです。

定年後の心配ばかり口にするⅯ君に私は聞きました。「君の夢はなんやったんや」と。Ⅿ君はすかさず「植物学者になるのが夢だった」と答えた。じゃあ、今からでもなればいいんじゃないかと言うと、そんなものの入り口がないと言う。そこで、「すぐにでも植木屋の棟梁のところへ行けよ」とアドバイスをしました。

翌日にⅯ君から電話がかかってきた。近所の植木屋を土、日だけ手伝うことになったと。聞けば一日に八千円の日当てをくれるという。好きなことをやってお金を貰えるのだから、いいことずくめだと喜んでいました。

そして、いよいよ定年を前にしたある日、Ⅿ君は棟梁のところへ挨拶あいさつに出向いた。すると何やら植木屋が騒がしい。聞くと棟梁が倒れたというのです。慌てて中に入ると棟梁がⅯ君に言った。「あとは君に任せる。八十人の弟子と植木屋を継いでくれ」と。

今Ⅿ君は、世界中を飛び回る生活をしています。世界の一流ホテルや大使館などには、日本庭園があるところが多い。この日本庭園は、日本の植物を熟知していなければ手入れができないのだそうです。Ⅿ君は豊富な知識と経験、そして得意の語学力でバリバリと仕事をしている。日々心地良い疲れを感じながら、さぞ幸せを満喫していることでしょう。

人はみな、それぞれにやりたいことをもっているものです。それを諦めている人の何と多いことか。なぜ簡単に諦めてしまうのでしょう。最初からできないと思ってしまうから、嫌な疲れだけが残っていくんです。

もちろん、好きなことだけをやって生きていける人は少ないかもしれない。お金を稼がなくてはならないのも事実です。

でも、それだけではやがて疲れ果ててしまう。Ⅿ君は決して植木屋に逃げ込んだのではない。日々の仕事に、プラスアルファを付け加えただけなんです。その大好きなプラスが、彼の人生に潤いをもたらしたというわけです。

一日二時間がんばってみる

私は講演の中で、時間の使い方についての話をよくします。一日の二十四時間の中で、二時間だけ自分のやりたいことをに集中するじかんをつくりなさいと。これは私自身も若いころから実践してきたことです。

どんなに忙しいときでも、とにかくに時間は自分のものにする。好きなことならやれるはずだし、人間が集中できるのはせいぜいに時間が限度だと思うからです。例えば難しい資格を取るにしても、一日に五時間も勉強していたのではとても続きません。二時間ならばやれるものです。それを十年も続けることができなら、ものすごく大きな力にきっとなってきます。

「先生のアドバイスのおかげで、憧れの資格を取ることができました」「毎日二時間続けたことで、独立するだけの実力がつきました」。そんなふうにお礼を言われることがよくあります。もちろん私にしても嬉しいことですが、それは私のおかげなんかではない。その人自らが掴んだ幸せなんです。私のちょっとした一言で、きっかえを掴んだに過ぎないんです。

同じように私の講演を聞いていても、ただ聞き流す人と、きっかけを掴む人がいる。その小さなことが、大きく人生を変えるものです。言葉を換えれば、幸せになるヒントやきっかけは、あなたの周りにいくらでも落ちているもの。あくまで自分で掴み、そして感じるものだと思うんです。

作家 藤本義一さん

1933年、大阪府生まれ。大阪府立大学経済学部卒業。在学中から映画シナリオ、ラジオ脚本を手掛け、上方を描く小説家として独自の世界を築く。74年、『鬼の詩』で第71回直木賞受賞。2012年、逝去。

出典:PHP平成28年9月17日号

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自分のやりたいことへ挑戦してみることのまとめ

ここでは、作家 藤本義一さんによるコラムをご紹介しました。

今の時代は、多くの人が生きるために自分のやりたくないことをしているのかもしれません。でも、もし自分のやりたいことがすでに分かっているなら、毎日二時間でもそのことを始めてみるなら、何か大きなものに変わっていくきっかけになるのでしょうね。

今の時代は、30代や40代でも、今から新しいことを始めるのは遅すぎるんじゃないか?と不安に思う人もいるかもしれませんが、何かを始めることに年齢は関係なく、やっぱり好きなこと・本当にやりたかったことを始めるなら、何歳になっても花開くものなのかもしれませんね。

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