平沼 赳夫さん:脳梗塞の後遺症を音読・歩行のリハビリで退け、保守再生に賭けて尽力する国会議員
平沼 赳夫 (ひらぬま たけお)さんは、岡山県3区の衆議院議員でしたが、在任中に脳梗塞を経験されています。
平沼さんは、脳梗塞が起きたときの体験と、その後の克服までのリハビリの体験を細かく記録に残してくださっています。
それはここでは、平沼さんの脳梗塞の体験談をご紹介します。
乾杯の音頭と同時にめまいに襲われ脳梗塞が原因と分かり入院
「皆さん、復党おめでとう、乾杯!」
そういってグラスを挙げた瞬間、テーブルの上にある小鉢皿や飲み物がグルグルと回りはじめました。通常のめまいとは、明らかにようすが異なります。
二〇〇六年一二月六日ーいわゆる郵政選挙を無所属で戦った有事一一人の自民党復党祝いでの出来事でした。
すぐにでも横たわりたい気持ちでしたが、主催者の私がぶざまな姿を見せるわけにはいきません。両手を畳みに突っ張ってこらえることを三〇~四〇分。食べ物も飲み物も、まったくのどを通らない状態が続きました。
そんなようすに気づいた出席者の一人が、「体調が悪いのではないですか」と、わたしを隣の部屋まで連れ出してくれたのです。そこで、具合が悪いといったものの、救急車を呼ぶわけにはいきません。ようやく迎えにきてくれた秘書の車に乗るのも、ひと苦労でした。会場の入り口には、マスコミの記者たちがおおぜい待機していたからです。私は記者たちに見せるように、しっかり歩いて車に乗り込みました。ことのときすでに、最初に異変を感じてから八〇分以上が過ぎていました。
病院で検査を受けた結果、「脳梗塞」と判明。即刻入院となりました。最初の四日間は寝たきりの状態で、食事もできず、栄養はすべて点滴からとっていたほどです。
のちに主治医から「非常に危険な状態だった」と聞かされました。病院に到着した時点で、脳梗塞の薬が効果を発揮する制限時間を過ぎていたのです。結局、二か月半の入院生活を余儀なくされました。
入院期間中は、「平沼は再起不能」というものから、「霊柩車で岡山に帰った」といったうわさまで聞こえてきました。脳梗塞という病名を公表したのは、あれこれ根も葉もないうわさを否定して、支援してくださる皆さんに安心していただくためです。ウソをつく理由なんてありませんし、私のほんとうの姿を知らせることが必要だと思いました。
事実を知った皆さんからは応援や激励をいただき、強い気持ちで治療とリハビリに打ち込むことができました。おかげさまで二〇〇七年五月、衆議院本会議への出席を皮切りに、本格的に仕事復帰できたわけです。
食事は小さく分けて口に入れよく噛んで食べるようにしている
脳梗塞の病後は、うつ状態になる人が多いと聞きます。しかし、私の場合は意欲が高まるばかりでした。意識もはっきりしており、記憶力・思考力・判断力も衰えていません。とはいえ、「声がかすれる」「ろれつが回らない」といった症状には苦労しました。体を動かす指示を出している小脳に梗塞が起こったため、言葉の後遺症が残ったのです。右半身には、軽いマヒも残りました。
リハビリは「あー」と発声する練習から始まりました。普通なら一〇秒以上、発声しつづけられるところはじめのうちは、三秒ともちませんでした。発声が上達してからは、イソップ寓話「北風と太陽」の音読もやらされたものです。医師は、声に出して読むのが大事だといいます。ストーリーの理解度、つまり認知機能なども確かめていたのでしょう。会談の昇り降りなどの歩行練習といっしょに、とにかくリハビリに励みました。
一連のリハビリにおいて、できないことに対するショックは正直、とても大きなものでした。このときの私を支えてくれていたのは、「一日も早く復帰しなければ。そして、この国の政治を立て直さなければ」という思いでした。
脳梗塞になってからは、食べ方にも気を遣うようになりました。暴飲暴食にドカ食いの習慣まで重なり、倒れるまでは一七五センチの身長に対し八三キロも体重があるメタボ体型でした。一年ごとに受けている人間ドッグでは異常が見られなかったものの、脳梗塞予備軍だったのです。
以来、一度に口に入れる食事の量を減らして、とにかくよく噛んで食べるよう心がけています。その結果、退院するころには七〇キロまで減量。現在もその体重を維持しています。
私の脳梗塞は、「もっと働け」という天の声だったのかもしれません。病気の恐ろしさを知り、みずからの政治使命を再認識できました。
直近には、「人権侵害救済法案」という、日本人の言論弾圧につながりかねない法案の審議入りが控えています。ほかにも「夫婦別姓」や「外国人参政権」などが問題視されています。いずれも、日本の根幹を揺るがしかねない大きな問題です。保守政治家として、それらをつぶすのがわたしの使命です。
私は毎日、多くの人から電子メールいただきます。老若男女問わず、そのすべてのお返事しています。最近は、日本の抱える問題について、若い人や女性からメッセージをいただくことが増えてきました。とても心強く感じています。私を脳梗塞からよみがえらせてくれたのは、そういった皆さんの声なんです。
出典:健康365 (2011年11月号)
平沼 赳夫 (ひらぬま たけお)
1939年、8月3日生まれ。岡山3区選出、衆議院議員(10期)。運輸大臣(第70代)、通商産業大臣(第66代)、経済産業大臣(初代、第2代)を歴任。2010年4月、新党「たちあがれ日本」を結成し、代表に就任。座右の銘は「天命を信じ人事を尽くす」
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