好きなことをするには、年齢は関係なく遅すぎることはない。定年後に花開くケースもあることを教えてくれた伊集院静さん。
年齢を重ねるごとに、もうこの年では何かに挑戦するのは遅すぎるのでは?と、諦めてしまっている人や、実際に行動に移すことを躊躇してしまっている人がいると思います。
また、40代や50代になって何か新しいことを初めてみたけれど、なかなかうまくいかない状況にいる人もいるかもしれません。
そんな方に勇気をくれるようなコラムが目に留まりましたので、ここでシャアしたいと思います。
若いころから兄弟を亡くし、後に奥さんを亡くしたりなどの経験をし、さまざまな経験をして60歳から売れる作家になると、40代の頃から決めていた伊集院静さん。
そして実際に、60歳を過ぎてから作家として忙しくなり、売れた経験を持つ伊集院さんのコラムをご紹介したいと思います。
作家 伊集院静さんによるエッセイ
二十歳のとき、当時17歳だった弟を海の事故で亡くしました。通夜の夜、親しくさせていただいていた高校時代の恩師から、こんなことを言われたのを覚えています。
「哀しみに甘えてはいけない。憤ってはいけない。マサキ君が不運だとも思ってはいけない。不運な人生などどこにもないんだよ」
そのときは、先生がおっしゃることの意味が、よくわからなかった。私は哀しみに甘えてなどいないと突っぱった。しかしその後、先妻(女優・夏目雅子さん)を亡くし、ずっと後の2011年3月11日、自宅がある仙台で、東日本大震災に遭いました。
たくさんの人が死んでいきました。今ならあの言葉の意味がわかります。
哀しみには必ず終わりがくる
さぞつらく、無念だっただろう・・・・・。残された人はそう思います。しかし、死んでいった人の人生には、笑った日も喜んだ日もあったはずです。たとえどんなに短い一生でも、そこには人生の四季があった。その事実に目を向けることが大切なのだと思います。
死をただ「不運だ」と思えば、その人の人生を否定することになってしまいます。「なぜうちの弟が、妻が・・・・」と運命を呪い、生き残った自分を憎むこともある。確かに「そんなことを言わずに頑張れよ」と励まされれば、「お前にわかってたまるか」などと憤ったりもする。人の死を不運だと思うことで、今を生きる自分自身の生も否定し、すさみ、袋小路に入っていってしまうのです。
弟や家内を亡くした後、友人や知人のなかには「実は私も・・・・」と、身内を亡くした経験を話してくれる人が、思った以上に多くいました。自分だけが悲劇の主人公のような生き方をしていたのが恥ずかしかった。
そして、もうひとつ気づかされたのは、つらい経験をされた方たちが、みなさん、今は新しい人生をしっかりと歩んでいるということでした。
誰にだって、つらいこと哀しいことはある。しかし、哀しみには必ず終わりがきます。懸命に生きていれば、いつか違う幸せを手にできるのです。
だから、不運と思ってはいけない。発刊したばかりのエッセイ集『不運と思うな。』(講談社)には、そんな思いを込めたつもりです。
先を見据えて準備をはじめよう
不運と思ってはいけないのは、定年後の生き方も同じではないでしょうか。昔と違って、今は超高齢化時代です。「家も買った、子どもも巣立った。さあ、残りの人生楽しく生きよう」と思っても、この先どれだれ長生きするかわからないから、退職金だけでは不安です。まだ元気なのにやることがなく、家でぶらぶらしていれば、家族に文句を言われて居場所もない。「こんなはずじゃなかった」とがく然とする人もいるでしょう。
しかし、これを不運と思ったらそれこそ袋小路に入って、生きる力を失ってしまいます。できれば次に向けて準備をはじめてほしいのです。
私の場合は、みなさんの立場とは少し違うかもれしませんが、準備は早かった。実は、40代の頃から、60歳になったら「他の小説家の倍働こう」と決めていたんです。
単純な話、子どもの頃、占い師に「60歳になったら活躍できる」と言われたのも理由の一つです。それまでは、準備期間だと考え、小説を書くのをいったん縮小しました。その代わり、書物を読み、世界を見てまわり、60歳から書くことのテーマや素材集めをはじめたのです。
金がないので、いろいろな出版社から借金をしました。「60歳になったら本が売れる。そのとき必ず返すから」などと言ってね。しかし、過去に60歳過ぎてから売れた作家なんて一人もいない。最初は、編集者たちも「何をバカなことを」と相手にしてくれませんでした。
ですが、私に貸す金なんて会社の金で、自分の金じゃない。だから、最終的には結構な額が集まった。まあ、偉そうなことを言っても、酒と博打にだいぶ回しちゃいましたけど(笑)。
そうやって準備した結果、60歳になったら本当に本が売れました。『大人の流儀』シリーズの第一作目を描いたのもその年です。続いて小説『いねむり先生』もヒットし、これには編集者たちも驚いた。借金は一気に返済です。それからは人の倍どころか、3倍も4倍も書いているんじゃないでしょうか。
66歳になった今は、週刊誌の連載を数本、それと新聞小説「琥珀の夢」(日本経済新聞)の連載も始まりました。サントリー創業者・鳥居信治郎の生涯を軸に、明治の日本人の生き方や企業のあり方を描いていこうと思っています。若き日の信治郎と少年時代の松下幸之助の出会いからはじまり、おかげさまで出だしから好評です。
それにしても、毎日2,3本の締め切りを抱えるような状態で忙しい。酒の量もすっかり減りましたよ。
好きなことををやるには、苦しいことも覚悟する
準備しろと言われても「この年齢で、今さら何ができるのだ」とお思いかもしれません。だが、そんなことはない。
漆芸家で人間国宝の故・大場松魚さんが、いいことを言いました。「何歳からでもいい。三年一つの仕事を懸命にやり続けなさい。そうすれば、その仕事以外でも、どこへ行っても通用する人間になれます」と。ただし、その三年は、土日も祝日も一切なし。三百六十五日、朝から晩までやり続けなきゃならないそうです。
そして、ここからがまた面白いのですが、松魚さんは、「黙って三年やれば、次に自分がやるべき職業が見えてくる」とまでおっしゃっているんです。その気になれば、定年過ぎてもゼロからスタートできる。しかも、そこから、本当に好きなことに出会えるかもしれないということです。
好きなことをやるには、覚悟もしなければなりません。好きなことのなかに、苦しいこと、つらいことがなければ、それはただの遊びになってしまうからです。他の人がいやがって避けるようなことを「私がやる」と買って出るようになってはじめて、好きなことをやる人生が充実するのではないでしょうか。
また、日々をより良く生きるには、私流ですが、一つコツがあります。それは、朝、目が覚めたとき「今日なんだ!」と思うこと。
「今まで書けなかった文章が書けるかもしれないのは、今日なんだ!」
「今まで出会えなかったことに出会えるかもしれないのは、今日なんだ!」
そう考えると、ワクワクして原稿用紙に向かえるし、外へ出たくなる。「今日もまたやることがないなぁ」とぼんやり起きるのと、「今日何かがあるはずだ」とその日が特別だと期待して目覚めるのとでは、一日のあり方が全然違ってきます。「今日なんだ!」
そうは思えなくても、思おうと決めればいい。生きる力とは、案外、こうして自分で生み出せるものではないでしょうか。
作家 伊集院静さんは、1950年、山口県生まれ。立教大学文学部卒業。CMディレクターなどを経て、81年、短編小説『皐月』でデビュー。91年『乳房』で吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で直木賞、94年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、2002年、『ごろごろ』で吉川英治文学賞を受賞。作詞家として「ギンギラギにさりげなく」「愚か者」「春の旅人」などを手掛けている。
出典:PHP 平成28年9月17日号
作家 伊集院静さんによる「今日なんだ!」と思って毎日を生きることのまとめ
作家 伊集院静さんによる平成28年に書かれたコラムをご紹介しました。
伊集院静さんのコラムによって、何歳になっても何かを始めることはできるし、定年過ぎてもゼロからスタートできるということを教えていただいたような気がします。
高校や大学を卒業して、どこかの会社に就職して、その仕事を定年まで続ける人もいれば、途中で他の道へ進む人もいます。また、定年してから何かにチャレンジする人もいます。
今はもう30歳だからとか、もう40歳だからとか、もう60歳だからとか年齢は関係なく、信念をもって続ければ、何歳になっても道は開けるのだと、それを実践された伊集院さんの言葉はとても説得力がありますね。
何歳になっても遅すぎることはなく、何歳になってもいろいろなことに挑戦してみたいですね。