病気に限った話ではない。『暗い気持ちに負けちゃダメだよ』
病気になったり辛いことがあったりすると、思考はネガティブになり、常に暗い気持ちになってしまします。そんな時、その気持ちをわかってくれる人がそばにいて、正面から向き合ってくれるなら、気持ちがすっと楽になるかもしれません。
当事者は一人で抱え込むのではなく、また、周りの人もそっとしておこうというのではなく、勇気をもって寄り添うことが当事者にとっての大きな支えになるようです。
ここでは、神奈川県横浜市・学生・21歳の入江綾可さんのPHP賞受賞作品の、生きることについて考えさせるエッセイをご紹介します。
恐れずに真剣に、傷に触れる勇気を出してみると、その姿勢が特効薬になる人は、案外たくさんいるはず
大掃除のついでに身体も点検しておこうと立ち寄った病院で左胸にしこりが見つかったのは、十九歳になった年の瀬のことだった。
「とにかく、ここじゃ診断はできない。大学病院の紹介状を書きますね」
滔々と説明を続ける医者を横目に、私はここ最近の不幸な出来事を回想してきた。今月に入って携帯電話を落としたし、先週の旅行も三日間ずっと悪天候だった。そのうえ胸にしこりだなんて、悪いことは続くものだ・・・。
私が他人事のように冷静だったのは、「自分が病気になるわけがない」と根拠もなく楽観視していたからだと思う。しかし、そんなお気楽さも二つ目の病院で断ち切られた。
「これは・・・・すぐ精密検査に移りましょう」
大きな病院に来れば何とかなるだろうという自信は、その言葉で見事に打ち砕かれた。
そこからの三か月は、苦痛を強いる検査と結果の出ない診断の繰り返しで、生き地獄のようだった。
最悪の場合左胸は切除します。最悪の場合余命宣言はしますか。最悪の場合ご家族に伝える準備を。最悪、最悪、最悪・・・・。
繰り返し告げられる「最悪の場合」で脳内を埋め尽くされた私は、そのことしか考えられなくなった。いつの間にか寒い冬が終わり、まばゆい春になったが、すでに夏休みの話題で沸いている大学に行く気力はすっきり尽きてしまっていた。
優しく力強いMの言葉
そんなある日、鬱屈した私を立ち直らせてくれたのは、高校の同級生Mだった。Mとは同じグループだったものの、個人的な繋がりは薄かった。こもりがちだった私が彼女の誘いに乗ってランチに出かけたのは、Mの身の上によるところが大きい。
彼女にとある持病があることを、私は中学時代から知っていた。けれど、いつでも明るく笑顔を絶やさないMは、「健気」というよりも、常に全力で毎日を楽しんでいるように見えた。そんなMを私はひそかに尊敬していて、彼女がどんな言葉をかけてくれるのか聞いてみたかったのだ。
私たちは横浜のカフェで会って、しばし思い出話に花を咲かせた。ことの顛末は伝えてあったので、自然な流れで病気の話になる。
「今が一番不安で仕方ないよね。私も検査の時はいつもそうだった」
辛い検査、諦めた夢、それでも自分の身体を付き合っていかなければならないこと。Mは私と重ねて自分のことを話してくれた。
最初の内こそへらへらしていた私も、優しく力強いMの語りかけに自分の中で何かが崩れ始めるのがわかった。切り込むでもなく突き放すでもない温かい包容力に、私は自然と涙していた。昨年末に病気が発覚してから、泣いたのは初めてだった。
「あのね、どんなに辛くても暗い気持ちに負けちゃダメだよ、絶対に」
Mは、ずっと隠していた私の不安や緊張を正面から真摯に受け止め、包み込んでくれた。
その日から私は、振り切れたようにとまではいかないものの、確実に前向きになることができた。限りある時間の中でどこに行き、誰と会い、何を伝えたいのだろう。一瞬一瞬に途方もない価値があると気づいてから、全てを全力で選択した。そんな日々はとても尊く愛おしいものに感じられた。
勇気をもって傷に触れる
その後、手術で摘出したところ、腫瘍は奇跡的に良性だったと判明し、私の生活は元のとおりに戻った。だが、もしあのときMが声をかけてくれなければ、私は先の見えない不安やプレッシャーに負けて、このかけがえのない日々を自ら手放していたかもしれない。
病気や怪我の話を聞いたとき、そのことについて触れないことこそ優しさだと大抵の人が思うだろう。私は去年まではそう考えていた。けれどそれは実は優しさではなく、うっかり相手を傷つけることを恐れる保身なのだと、Mを見て気づかされた。弱っている人にとって、Mのように勇気をもって寄り添ってくれる存在は本当に大きな支えになるのだ。
病気に限った話ではない。何かを抱えている人の話を聞くということは、共に背負う覚悟をするということだ。Mはそれを理解したうえで私と向き合ってくれた。その姿勢が何より私を元気づけ、深い海の底から引っ張り上げてくれた。
あなたの周りに何か悩みを抱えている人はいないだろうか。下手に傷つけたくないという理由でその人を敬遠してはいないだろうか。何も特別なことを言おうとしなくていい。恐れずに真剣に、傷に触れる勇気を出してみてほしい。その姿勢が特効薬になる人は、案外たくさんいるはずだ。
私は、Mが与えてくれた優しさという薬のおかげで今日も元気に生かされている。
出典:PHP平成28年8月10日号 第五十二回PHP賞受賞作