どうやってベーシックインカムの金額の設定するべきか。誰が金額の設定をするのか?
世の中では、ベーシックインカム制度の話題が増えてきていますが、その金額の設定方法について考えてみたいと思います。
そして、ベーシックインカムを設けることで、どのような人が救われるのか、ということを見ていきましょう。
これは、このコロナという感染症に直面している今の社会において、ベーシックインカムの必要性が、市中感染防止のために必要な策だということにも繋がってきます。
また、政府の掲げる「自助」について、本来の自助のあるべき姿についても、一緒に考えてみませんか。
ベーシックインカムの金額の設定方法
最近は、何を根拠か分かりませんが、ベーシックインカムは月に7万円とか、10万円とか、20万円とか、そのような声が聞こえてきますね。
しかし、実際に考えてみてください。
もし、特別養護老人ホームに入居が必要になったりとか、胃ろうが必要になったとき、月々の費用はいくらかかると思いますか?または、家族がおらず単身で病気にかかった場合、病院の月々に費用はいくらかかるのでしょうか。
ベーシックインカムでは、それらの必要経費をカバーできる金額でなければ、だれも回復するための医療や介護を受けられなくなってしまいます。
それは、コロナ禍になり、誰もが考えなければいけない問題になりましたね。
自分は20代で健全だし、何も心配する必要はない、と思っていても、もし感染症にかかり病院の世話になるときに、何の収入もなければ、病院に入ることは不可能ですね。病院の入院費のほかに、家賃も払い続けなければ、家を失うことになってしまうからです。
今の現状の世の中では、病気で入院したら、その分、借金だけがかさむ結果になってしまいます。
年齢層に関係なく、感染症など誰もがなりうる世の中の弱者を一番に考慮してベーシックインカムの金額を設定する必要があると思います。
ですから、月に7万円とか10万円というのは問題外の数字であるということに気がつかなければいけません。健全な人にとっては、月に7万円でも10万円でも生活の足しになってうれしいということは分かりますが、ベーシックインカムの基準は健全な人ではなく、どうしても働くことができない状況に陥ってしまう人を救うためのものでなくてはなりません。
また、わたしの知り合いが、股関節の手術で3週間入院したときも、保険適用外に16~17万円の費用が掛かりました。では、一か月入院することになったら、20万円以上の費用が掛かるのです。そのほかに、新しい下着や歯ブラシなど生活用品などの金額が要りますよね。
そのように、誰もが直面するかもしれないことに対し、安易な考えで、月10万円もあればいいだろう、という無責任な発言ができるはずもありません。それは、苦しい状況の人の現実を知らないから言えることでしょう。
不運にも社会的に弱者になってしまった人たちが、心配なく入院できる金額が必要です。
しかし、ベーシックインカム制度のような保障制度がない現在は、最低でも1000万円は稼がなくては、もしもの時に最低限の生活すら送ることができにない状況になっているのです。
「今自分は健康だから関係ない」ということではなく、今苦しんでいる人たちがいることも忘れてはいけませんし、今後いつ自分がそのような状況に陥ってしまうかもしれないと考えることができるなら、このコロナ禍をドリルとして捕らえ、新しい仕組みを作っていくべき時期にきているのではないでしょうか。
今までは、誰かがガンになってしまったり、誰かが生んだ子供に病気があったりとか、他人事のように聞こえていたのかもしれません。しかし、感染症はだれもがその疫病にかかってしまうかもしないのです。ですから、多くの人が自分のことをして捕らえられる良い機会なのではないでしょうか。
その感染症にかかり、無症状のまま入院することになり、仕事ができなくなったら収入もなくなり、その人は家を失うことになるのでしょうか?
そのような場合の補償をしなくては、誰も感染症の検査を受けたいとも思わないし、そうこう悩んでいるうちに市中感染が爆発的に広がるというケールになってしまうのではないですか?
今回のコロナは、それほど被害がなさそうだから!で済ませていい問題ではなく、これを機に浮き彫りになってきた問題点をどう解決していくかを真剣に考えなければ、次に起こるかもしれない脅威の感染症で数日で国が滅んでしまう可能性だって出てくるのです。
そして、その解決策こそ、どんな不運な状況になっても安心できる保証制度(ベーシックインカム)なのだと思います。
自分を基準にではなく、立場の弱い人を基準に考える
国の政策を決める政治や行政は、税金でお給料をもらうため、民間企業の苦しさが分かりません。努力をしなくても、約束された給料と、努力をしなくてもOO休暇とか、税金を財源としてれば、いくらでもお金があるのです。
今回のコロナ禍において、そのような思考の違いが浮き彫りになってきたのではないでしょうか。
社会の状況が変わり、苦境に落ちてしまった多くの民間企業と、社会の状況に関係なく給料とボーナスの確保のできる公務員。
それは、自分の体が健康なら、病気の人の気持ちがわからないのと同じです。
しかし、どんな政策を作るにしても、立場の弱い人を基準に進めていかなければいけません。
アメリカに住んでいるとき、法律関係の仕事をしている友人が言っていました。「困ったちゃんビジネスは儲かる」と。困っているから、どんな手を使ってでもその状況から脱出しようとするから、いくらでもお金を使う、ということですね。
たとえば、がん患者さんがいたなら、藁にもすがる思いで、どんな高額な治療法だって試してみるようにです。
しかし、困っている人をビジネスにしようなど、そのようなひねくれた考え方ではなく、「困っているから助けてあげよう」という社会に変わっていかなければいけないと思いませんか。
今の社会というのは、根本的なところから考え方を変えていく必要があると思うのです。
ですから、困っている人に手を差し伸べていく社会をつくるべきではないですか?
そのために「移民を大量に入国させて、まずはその移民を助けよう」ということではなく、まずは国内の国民を助けてあげなくては、いつまでたっても「灯台下暗し」の状況になってしまいませんか?
ですので、もし「自助」という言葉を使うなら、移民を大量に入国させる以前に、「自国民を助けること」を自助と呼ぶべきではないですか?
自分の国の国民を救うことができないのに、他国への支援などできるでしょうか?この国にはそのような余裕はないはずです。
どんなに発展途上国でも、金持ちはいつも金持ちなのです。その人たちは、自分の国の国民を助けるだけのお金を持っているのです。しかし、彼らはその金を貯め込み、なぜ他国がそれらの国へお金を支払う必要があるのですか?
大学院のころの友人に東南アジアからの留学生がいましたが、アメリカでは3000万円ほどの家を現金で買い、アメリカで一台1000万円ほどする車を何台か買って自国へ送っていましたが、自国の港の公務員に、車と同じ値段の賄賂を関税に支払っていました。その上、世界的大企業に自分の土地で工場を開かせ、まるで王様のようでした。実際、彼の親友はその国の大統領の息子であり、本人もその国の#2の息子でしたが。
また、もう一人の違う東南アジアの国の出身の友人は、ラスベガスへ行く度に、一晩で1000万円程度は平気で損をしていました。
そのように、世界の人が発展途上国で貧しいと思っている国でも、お金のある所には山のようにお金があるのです。それなのに、なぜ彼らはお金を一切使わずに、他国がそれらの国の金銭的支援を続けるのでしょうか。
その間にも、日本ではホームレスが増え、貧しい人が増加しているというのに。。。
ですから、まずは国内の身近にいる助けが必要な人を助けることが先ではないでしょうか。
皆さんは、どう思いますか?