暮らしと災害対策

テレビ・ニュース・新聞などは真実を伝えるもの、という「既成概念」

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メディアが真実の情報源であるという既成概念があるなら、情報発信者が視聴者の思考をコントロールすることは簡単である

テレビが一般家庭に普及するようになってから60年ほど経ち、今ではどの家庭にも最低でも一台はあるという状況だと思います。

ドラマや映画などもテレビで視聴できるようになりましたが、同時にニュースと言われていることも、それが真実なのかフィクションなのか分からない世界に住んでいるのです。

「そんなはずはない、ニュースはニュースで、本当の事件や本当に起ったことを報道している!」と思われている様ですが、本当にそうでしょうか?

中には、本当の事件もあるかもしれません。

しかし、もし人々の思考に『ニュースで見ることは事実である』という思考が植え付けられているとしたなら、そこで見ることが事実ではないことがあったにせよ、人々はそれを事実をして捉えてしまうということです。

それを「既成概念」と呼ぶのでしょう。

テレビ・ニュース・新聞などは真実を伝えるもの、という既成概念が人々の思考の中に出来上がってしまっていることほど、怖いものはありません。

人々の既成概念を利用して、人々の思考をコントロールすることも可能であるということです。

では、真実を知る為にはどうしたらよいのかを見てみましょう。

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世の中の真実を知るには、実際に自らの足で行動し、確認するしかない

では、実際に真実を知るにはどうしたらよいのか。

コロナ禍になり欧米で行われたことは、国民がカメラを持って病院へ行き、実際に混雑状況を撮影したということです。

テレビでは、患者であふれ医療崩壊寸前のパンク状態であると報道されていた病院でも、個人ジャーナリストによる撮影では、通常の患者もいないほど静まり返っている状況である、ということが判明しました。

それは、世界の各地で個人がインターネット上に投稿していたものです。

しかし、自粛して家から一歩も出なかったなら、その真実を知ることは無かったでしょう。

人々が家にこもり、テレビだけから情報を得ようとするなら、外の状況を確認せずに、テレビの情報が正しいと思ってしまうのです。

そして今、人々は、コロナは本当は存在していないのではないか?という疑問を持ち始め、今となればマスクをしない人が増えてきたという現状です。

また、2001年に起きた911においても、テレビでは飛行機がワールドトレードセンターWTCに追突する映像が流れましたが、実際にNYにいて状況を見ていた人々の証言は、そこに飛行機は追突してこなかった、というものでした。

そして、その状況を個人のカメラで撮影していた人もいて、そこには飛行機は写ってはいません。

しかし、その様な映像はテレビや大手メディアによって報道されることは無く、世界中、WTCは飛行機の追突テロによって起こったことだと信じる結果になりました。

これらの出来事を通して、何が起きたのでしょう。

人々は真実を知るようになった、しかし、その真実を正義にするという行動をするわけでもなく、その出来事を受け入れ、今ままで通りの生活を続けている、ということです。

人のうわさは75日という様に、数日はそのうわさ話で盛り上がるのですが、いずれ忘れ、新しい社会になじんでいくのです。

また、20年たった今でも911の真実は人々によって話題に上ることもあるけれど、「それが政府だから」ということで、人々はそのような在り方の社会に納得してしまっている、という状況です。

そして政府も、人々は事件の根源が政府だと知っていても、政府・UNという組織を覆そうと行動に出る者はいない、ということを知っているのです。

だから、選挙の違反も堂々と実行できる。人々が真実を知っても、それに対して行動するわけではない、ということを知っているからですね。

今の社会は、インターネット上に自分の意見を述べることが出来るようになり、その意見を投稿した時点で、人々はある種の満足感を得ているからでしょう。

ですから、実際に行動に移して「このままの社会じゃだめだ!」と、現状の社会の在り方そのものを、新しい法律と、新しい政治の在り方を変えようとする者は現れない。

自分の意見を人に聞いてもらえるだけで、満足しているのです。

だから、声を上げるだけのプロテストには意味もなく、人々が署名を集めてもその署名から何かが変わることも無いのです。

最終的には、強行する者が、強行すれば、遅かれ早かれ人々はその強攻策に従うのです。

それも、今の現状の人々が選ぶ社会の在り方であり、今まで人々はそうやって自分の住む世界を構築してきた結果です。

本当に何かを変えたいなら、行動することでしか変わることは出来ません。

現状の政府としても、人々は反対意見をネット上に投稿するだけで実際に行動はしないから、自分達の好き放題できる社会をインターネットと共に作り上げてきた、と言えるでしょう。

また政府は、人々に自分の意見の投稿させればそれがストレス発散になり、人々はいつまでも自己満足の世界に生き続けるだろう、ということでしょう。

もし、人々が実際に行動に移そうとするコミュニティーがSNS上で出来てくれば、それらの投稿を消去すればいいだけで、反対意見を持つ集団を簡単に消すこともできるのです。

UN や政府としては、実際に行動に移さないインターネット社会では、人々をコントロールすることは、より簡単なものになったと言うことができるでしょう。

人々の目的は気に入らない社会を変えることではなく、気に入らない社会の文句を言う場があればいい、という思考状態に留めておくことで、支配者層はこの世界を好きなようにすることができる、という世界が繰り広げられているのが今日この頃です。

それも、双方が納得した世界なので、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれません

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社会の仕組みを変えるには、声を上げるだけではなく、時には大きな行動に出る必要がある

しかし、その様な世界の中で、本当に社会の在り方を変えたいと思う時には、人々は行動してきたのです。

例え、そこに陰謀論があったとしても、証拠映像があったとしても、司法も、警察も、政府自身が動かなければ、それは陰謀論に留まる、911の様に。

同じように、選挙で不正があったとしても、司法も警察も政府自身が動かなければ陰謀論のままで、証拠映像には何の意味もありません。

どんなことが起きても政府による隠ぺいが続くのなら、その政府の在り方自体が問われるべきであり、政府・政治の在り方を覆し、人員の入れ替えがない限り、社会の仕組みが変わることは無く、今の仕組みが継続するなら誰がその国の首長になったととこで、その政府を構成している人が変わらない限り何も変わらない。

その様な真実に気が付くとき、人はクーデターを起こすしか政府・組織を覆すことができないと気が付くのかもしれませんね。

同時に、今の時代では、メディアのtake overをすることにより、人々の思考の書き換えが必要になるのでしょう。

この国の歴史においても、明治も、江戸も、豊臣も、全てクーデターであり、時代が変わる時には、人々は実際に行動に移してきた、と気が付きたいですね。

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メディアは真実を伝えるもの、という「既成概念」についてのまとめ

この記事では、今の現状の社会に不満があったとしても、人々はその不満のはけ口をSNSで発言できれば満足できてしまっている、という現状をお伝えしました。

また、どうしても納得できない政策や状況があったとしても、数日すれば人々はそれを受け入れている、という双方の同意の様なものがある状態が作り出されてきている様です。

支配者層は世界に数人しかおらず、99%が立ちあがるなら世界は一瞬で変わっていくのでしょうけれど、99.9%は常に0.01%におびえている。。。

しかし、それもまた、双方が受け入れた世界です。

ここでお伝えしたかったことは、

・メディアで見せられるものすべてが真実とは限らない、ということ。

・また、人々の思考には、メディアで見ることが真実である、という既成概念の様なものが存在してしまっている、ということ。

・そして、SNSに反論を投稿するだけで満足してしまい、実際には行動にうつさない社会の構成がされている、ということ。

だから支配者層が、体は眠らせておき脳だけが機能するすべてデジタルの社会に移行したい、という気持ちも分かりますね。

また、このように思考がコントロールされた世界の中で、民主主義の定義は一体何なのか、ということをもう一度考えてみる良い機会かもしれませんね。

>>民主主義国家と言われている世界に本当の民主主義は存在しているのか

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