有名人のコラム

俳優・小日向文世『苦しいときこそ自分を信じる』「なんとかなるさ」の精神

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周りと比較せずに自分の道を歩き、苦しいときこそ自分を信じて思い込むことが大事

「四十代半ばで仕事も貯金もない。そんな日々が五年も続きましたが、心は不思議と前をむいていました。」と語る俳優の小日向文世さん。

今は、テレビコマーシャルから、テレビドラマなどで毎日のように見かける小日向さんですが、テレビに出るようになったのは四十代の後半からです。

それまでのご自身の体験談や感じてきたことがコラムになっているので、ここでご紹介します。

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「なんとかなるさ」と前向きに構えていたほうが、いいことが起きやすい気がするんです

名優だなんて、とんでもないです。みなさんに顔や名前を覚えていただけるようになったのは、四十代も半ばを過ぎてから。それまでは劇団の役者で、ずっと食うや食わずの生活でした。長い、長い下積みでした。

ですが、やめようと思ったことは一度もないんです。くじけないというのかな、やはり芝居が好きだったんですね。

ワクワク感があると長続きする

高校生のころは劣等生でした。スポーツも勉強もダメ、女の子にはモテやしない(笑)。唯一の趣味が絵を描くことで、暗くなるまで美術室にこもる地味な日々でした。

卒業後には、デザインの専門学校へ進んだのですが、遊びで出かけたスキーで骨折をしましてね。直りが悪くて、六回も手術を受け、結局、二年間入退院の繰り返しでした。

絵はあきらめて、今度は写真学校に入りました。二年間学んで卒業はしたんですが、今一つ夢中になれなかった。

本当に自分がやりたいことってなんだろう、と自分自身に問い掛け続け、出た答えが役者でした。ずっと目立たずに生きてきたせいか、「自分はこうだ!」「俺を見てくれ」って、どこかで主張したかったんじゃないかなぁ。

入ったのは、演出家の串田和美くしだかずよしさん率いる「オンシアター自由劇場」という劇団です。看板女優は吉田日出子ふよしだひでこさん、先輩俳優には笹野高史ささのたかしさんがいました。とにかく、この三人がおっかなくてね。怒鳴られ、責められ、徹底的に鍛えられました。

しかし、彼らがつくるエネルギッシュで型破りした舞台は、刺激的で面白かった。夢中で背中を追ううちに、僕もすっかり芝居の世界にのめり込んでいきました。

おかしなものですね。自分を主張したかったわりには、もともと人前に出るのは苦手です。今でも飲み会なんかで「何か面白いことやれよ」なんて言われても絶対無理(笑)。

劇団に入る前、一時、中村雅俊さんの付き人をやっていたんですが、ぼくを見て、中村さんは思われていたそうです。「小日向は、役者にむいてないな」って。

でも「演ずる」とは、自分以外の何者かになることです。自分じゃないと思うから、こんな僕でも大胆になれるんですね。

今年やらせていただいたNHK大河ドラマ「真田丸さなだまる」の秀吉にしても、かつらをかぶり、衣装を身につけることで、自分とは全く別の人物が立ち上がってくる。だから演じていて自分でも新鮮で、面白いんです。

劇団時代から今に至るまで一度も役者をやめようとは思わなかったのは、常にそんなワクワク感があったからですね。

劇団が解散したのは、ぼくが四十二歳のときでした。入ったのが二十三歳ですから、十九年間、どっぷり演劇につかっていたことになります。解散を機に、これからは、映像の世界に場を広げていこうと張り切りました。四十過ぎて、新しいチャレンジです。

ところが、いくら待っても仕事がほとんどこないんです。その三年間に結婚したばかりで、子どもも二人いた。それなのに貯金はゼロだし、収入のあてもない。いい年をした男が、とんでもないでしょう(笑)。事務所に前借しては、ポツンと仕事は入ったらなんとか返して、また前借り。その繰り返しです。

だけど、焦りや不安はあまりなかったですね。毎日朝から子どもの手をひき、近所の公園へ遊びにいった。ママ友に混ざってオジサン一人。普通のお父さんなら「恥ずかしい」とか「情けない」などと思うかもしれません。

でも、ぼくの場合、「可愛い盛りに一緒に過ごせてラッキー」なんて内心喜んでいた。それくらい、どこかノホホンとしていたんです。

前向きな心がチャンスを引き寄せる

そんな生活が五年も続きました。さすがに五年は長い。今考えると、あれでどうして落ち込まなかったのか不思議です。

一つには、女房の存在が大きかったと思います。亭主が家でゴロゴロしているというのに、「どうするの」とか「働け」なんていう文句は一切言わなかった。あとで聞いたら、「絶対なんとかなると思ってた」と言うんですね。

女房の影響が、「なんとかなる」という漠然とした希望は、実は、ぼくにもありました。十九年間の劇団生活のなかで、役者としての土台は、とことん叩き込まれた。好きだからこそ、手を抜かずにやってきた。その「経験」だけは確かなものだと自信がありました。いつか誰かが必ず評価してくれるはずだ、と。

これ、完全に思い込みですよね(笑)。ですが、苦しいときこそこうした思い込みが大事だと思います。貯金がない、仕事がないと、「ない」ばかり数えても暗くなるだけです。

それより思い込みでいいから、「なんとかなるさ」と前向きに構えていたほうが、いいことが起きやすい気がするんです。

人生が好転したのは、木村拓哉さん主演のドラマ「HERO」に出演の機会をいただいたことがきっかけでした。このドラマのプロデューサーが、三谷幸喜さんの舞台「オケピ」に出たぼくを見て、声をかけてくださった。

ああ、やっぱり、見てくれている人はいたという思いでした。これが転機となって、やっと新たな役者人生の幕が開きました。

チェレンジすることで人は成長する

今はテレビや映画の仕事が多いのですが、やはりぼくの原点は舞台です。舞台の仕事をいただくと、身が引き締まる思いがします。

この九月も「DISGRACED-恥辱」という舞台をやらせていただくのですが、緊張しますね。作品の設定は、現代アメリカ。人種や宗教問題など、複雑な背景がからみ合うなかで繰り広げられる人間ドラマです。テーマがシリアスな上に、日本人の役者が外国人をどう演じるか、本当に難しい。

若いころは、セリフをもらえてお客さんの前に立てることが単純にうれしかった。ですが、ここ何年かは、怖くてたまりません。パニックになってセリフが一言も出てこなかったらどうしよう・・・とかね。「ヘタしたら二度と舞台に立てないかもしれない」というくらいの覚悟で毎回のぞんでいます。

しかし、怖いからこそ、それを克服しようと頑張ることで成長できるのかもしれません。

何歳になっても、何か一つ課題や目標を見つけて、挑戦する。それが前向きに生きるコツじゃないかと思います。ベテランだなんて安心しちゃいけない。チャレンジし続ける人間でありたいと思っています。

俳優・小日向文世さん

1954年、北海道生まれ。東京写真専門学校を卒業後、77年にオンシアター自由劇場に入団。96年の解散まで中心メンバーとして活躍し、その後は映像にも活動の場を広げる。「HERO」(フジテレビ)、「真田丸」(NHK)など多くの作品に出演する。

出典:PHP平成28年9月10日号

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俳優・小日向文世『苦しいときこそ自分を信じる』ことのまとめ

今回は、俳優の小日向文世さんの人生の体験談をご紹介しました。今でこそ、毎日テレビで見かける小日向文世さんですが、テレビに出てくるようになったのは四十代後半になってからです。

四十代前半では子育てに集中することができ、仕事はほとんどない状況でした。しかし、自分のやりたいことを諦めず、続けてきたからこそ、今があるのですね。

もし、小日向さんが四十代前半で俳優の道を諦めてしまっていたら、私たちは小日向さんの演技を見ることはなかったのです。

小日向さんの体験談から、『自分のやりたいこと、この道だ!』ということを信じて続けていれば、道は開けるのだと励まされた気がしますね。

何歳になっても、自分の道を諦めずに、信じてその道を進みたいですね。

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