マニュアル通り、一律に行うのではなく、相手に応じて細心の計らいをするのが松下幸之助のもてなし方
現パナソニック(旧:松下電器)の創業者の松下幸之助さんの「おもてなし」の記録があるようで、ここでご紹介したいと思います。
松下幸之助さんは、技術者としてだけはなく、ありとあらゆる分野でも「おもてなし」の対応をしていたようです。お客様に対してだけではなく、会社の社員の方への気配りもあり、細かいことろまで注意深く対処している様子がうかがえます。
松下幸之助さんの「おもてなし」の記録
相手に合わせた配慮を
松下電器が京都の料亭に全国の得意先を招き、宴席を設けたときのこと。当日、会場の準備をしていたある社員は、下見に来た松下幸之助にこんなことを言われたそうです。
「ご飯の盛りつけに注意してな。東北の方は、いつもおいしいご飯を食べておられる。何度もおかわりするのは気が引けるものだから、きつく盛りつけてあげなさい。京都の方は少食なので、無理させてはいけないから軽く。九州の皆さんは普通でいいな」
マニュアル通り、一律に行うのではなく、相手に応じて細心の計らいをするのが幸之助のもてなし方でした。幸之助は言います。
「接客の基本は、かゆいところに手が届くような心配りをすることである。皆に満足を与えたいという考え方をもっていないと、人をお呼びする資格はない」
座布団の間隔を開けた理由とは
京都・真々庵に来客があるということで、社員が座敷に準備を整えました。いつものように幸之助は、等間隔にきちんと並べられた座布団を一つひとつ「ここはAさん」「次がBさん」と、順に指さしながら確認していきます。そして、Fさんのところで立ち止まり、社員に指示しました。
「この座布団、両方とのあいだをもうちょっと開けてや」
「ちゃんと並んでいるのに・・・」と社員が困惑していると、幸之助は「Fさんな、かなり肥えてはるねん」と言って笑ったのでした。
社員は「正直まいったと思った。この心憎いばかりの気配りを、おそらく客は気づかれないのではないか。相手に見えないところでのきめ細かな気配りは、少年のころの丁稚奉公以来、長い人生経験のなかで、あらゆる機会を通して身につけられた対人対応のすべてであろう」と述べています。
磯で味わった寿司折り
幸之助のそうした配慮は来客だけでなく、部下に対してもなされました。昭和三十三年五月、工場建設の候補地を検分するため、幸之助が神奈川県湘南地区を訪れたことがあります。辻堂工場の責任者Y氏と蓄電池工場の責任者I氏の案内で、数か所をⅯ割終えたのが昼の十二時過ぎでした。
「今日は天気がいいから、海岸で昼食を食べよう」。幸之助はそう言って、車を稲村ケ崎へと向けさせました。「ゆうべ新橋の寿司屋に、握りを五人分つくっておいてくれと頼んでおいたんや。今朝、出しなにもってきた」。
磯の香のする波打ち際にござを広げ、秘書のU氏が折り詰めを配ろうとしたとき、幸之助が声をかけたのです。
「きみ、そのうちの二つに小さな紐で印がしてあるやろ。それが関東味で君ら二人(U氏と運転手)の分、あとの三つは関西味でY氏とI君とわしの分や」
それぞれの出身地にまで及んだ幸之助の心馳せに四人の社員は恐縮し、感慨ひとしおで弁当を味わったと言います。
実際にやってみる
ある社員がお客様に出す弁当の内容を松下幸之助に報告に行き、わかりやすいようにと写真を見せながら説明しました。ところが、幸之助に「おいしいのか」と問われ、実際に食べたことがなかったので曖昧な答えしかできず、厳しく叱られたといいます。
また、お世話になった方にラジオを贈ることになった際、社員が「これは今すごく人気がある、いいラジオなんです」と言ってカタログを開くと、幸之助はひと言「君、自分で使ったんか」。使っていないのに、なぜよいとわかるのか、というわけです。
入館待ちの列にみずから並ぶ
幸之助は何ごとも実際に試し、自分の目で確かめることを重視、徹底していました。昭和四十五年三月から半年にわたって開催された大阪万国博覧会でのエピソードです。
松下電器のパビリオン「松下館」のオープンの数日前、幸之助は館長を呼び、「人の混雑にはどう対応するのか」と尋ねました。「これだけの人数で、このように対応します」「やってみたのか」「いいえ、やってはいません」。
幸之助は、「やらなかったら、危険なところがあるかどうかわからないやないか」と諌めます。急遽、バスが手配され、何百人かの社員を招集、幸之助立ち合いのもと、三度のリハーサルが行われたのでした。
さらに万博開幕後のある日、入館待ちの人々を映す松下館の事務室のモニターに、秘書とともに並ぶ幸之助が映っています。副館長が慌てて飛んでいくと、「何分待ったら入れるか、計っているんや」と言うのです。
その日、幸之助は「待ち時間を最小限に抑えるために誘導方法を再検討すること」「夏に備えて日よけをつくっておくこと」の二つを指示。これを受けて管内への誘導の仕方が改善され、夏には厚さがしのげるよう野点用の大日傘が立てられるとともに、入館待ちの人に紙の帽子が配られることになったのです。
出迎えの仕方を何度も実演
京都・真々庵で、こんな光景を目にした人もいます。
近く真々庵に大切なお客様を招くことになり、幸之助が社員らとその打ち合わせをしていました。出迎えの仕方について検討が始まると、幸之助は、形式的な普通のやり方ではなく、相手にもっと`あっ!`と思ってもらえる出迎えをしたいのだと、玄関先でいろいろ試しはじめたのです。
「お客様が着かれるやろ。そしたらわしがとるものもとりあえず下駄はいて出ていって、『やあ!』というような出会いがええな」「玄関からバーッと出て『よくいらっしました、どうぞ』と、こんなふうにするのがいちばん印象深いのちがうんか」-。
お客様に歓迎の気持ちを伝えるにはどうすればよいか。
決して妥協せず、みずから納得できるまで幸之助は実演をくり返したということです。
出典:PHP平成28年8月10日号、9月10日号
PHP公式サイト
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