「自由に生きると人に迷惑をかけてしまう」と何事にも尻込みしているあなた。もっと人に迷惑をかけていいのです⁉
多くの人は、人に迷惑をかけないように生きていると思います。そんな中、心理カウンセラーの心屋仁之助さんは、人に迷惑をかけて生きることを勧めています。
それは、周りに遠慮せずに自分の好きなことをしてみる、ということです。子どものため、家族のために自分のやりたいことを犠牲にしてきてはいませんか。
そんな中、自分のやりたいことを始めることが、幸せな気分になる方法だと気づかせてくれるコラムです。
自分がやりたいことを、なんとなくやりたいと思ったときに、なんとなく始めればいいんです
「50代から好きなことをして生きていく」ためにいちばん大事なことは、「迷惑ババア、クソジジイと言われていもいい!」と腹をくくることです。
またのっけから穏やかでないことを、と思われるかもしれませんが、これは人生の真理だと僕は思っています。
「迷惑ババア」「クソジジイ」のすすめ
「別に、人に迷惑をかけない範囲で、好きなことができればいいと思っているのです」とあなたはおっしゃるかもしれません。
それは無理な話です。
予想できることだと思いますが、我が儘を言ったり、自分の好きなことをして自分らしく生きていると、必ず人に迷惑をかけます。迷惑をかけることは避けられません。もう一〇〇パーセント迷惑です。
自分らしく生きようとすると、多かれ少なかれ、間違いなく人に迷惑をかける仕組みになっているのに、「迷惑をかけないように生きる」というのは、「自分らしく生きない」ということなんです。
迷惑をかけないように頑張るということは、自分らしく生きるのを放棄するということです。
自分らしく生きることを放棄した人が、幸せな人生を送るのは、ちょっと難しい。
もうそれは、自分ではなくなっているからです。
ですから、五〇代からは「迷惑ババア」「クソジジイ」になって生きる。
すると何が起きるかというと、」人に頼ってばかりの人生になるわけです。
人に、自分のできないところをやってもらって、自分の尻拭いをしてもらって、迷惑ばかりかけて生きる人生を、「感謝の人生」と言うのです。
なぜかというと、人に迷惑ばかりかけていたら、「ありがとう(感)」「すみません「(謝)」「ありがとう」「すみません」と言いっぱなしです。
そうです。感謝の人生になるんです。そういう人生は、すごくいい人生だって、想像がつきますよね。
「でも、迷惑をかけられる側はたまったもんじゃないのでは?」とあなたは思うかも知れません。
そのところは考えなくていいです。なぜなら、今まで迷惑をかけないように生きてきた人がかける迷惑というのは、大抵、大したことではないからです。
それに、人に迷惑をかけないようにしている人って「水くさい」です。
なんとなくやりたいことをなんとなく始めよう
「私は何をやればいいのでしょう?」「自分の好きなことがわかりません」と相談されたら、「知らんがな」と僕は言います。
だいたい「自分が好きなこと」「やりたいこと」というのは、人に聞くまでもなく、実は自分の中にうすうすはあるものです。だれもが、「本当は、自分はこうしたい」というものを持っているものです。
そこで、「どうしたいと思っているの?」と聞くと、「実は昔、油絵を描くのが好きでした」と答える。
「でも下手だし、画材とかお金がかかるし、時間がかかりそうだし、仕事も忙しいし・・・」と本当はやりたいことがあるのに、そのやりたいことをを隠したり、潰したりする理由をいっぱい抱えているのです。
さらに子供の頃、親に反対されたり、けなされたりした記憶も、あなたの邪魔をしています。
「そんな時間があるなら勉強しなさい」と言われたり、「あなたより、OOちゃんの絵のほうが、ずっと上手じゃない」なんて嫌なことを言われたりしたのが、ブレーキになっているのです。
ですから、好きなことなのに自信が持てなくて、自分がそれをやるのに「何の意味があるんだろう」と考えるわけです。
でも、意味はいらないんです。好きだからやればいい。
たとえばノーベル賞というのは、研究としては素晴らしいが、基本的には役に立たないものもたくさんあるそうです。
ある姉弟が、テレビで流れたノーベル賞のニュースを見ていました。そして、お姉さんが、理系の学校に通う弟にこう聞きました。
「これ、何の役に立つの?」
弟はうんざりして言いました。
「出た!『何の役に立つの』人間!いいじゃないですか。何の役に立たなくても(笑)」
弟の言うとおりですね。僕らは役に立たないことをもっとやっていいんです。好きなことって、何の役に立たないことが多いです。いいじゃないですか。
たとえば、なんとなく温泉に行きたいと思ったら、「この温泉にはこんな効能がある」とか、「ずっと仕事が忙しくて疲れてるから休んでいいよね」とか、自分が温泉に行く損得や意味づけを考える。
「そんなこといいから、さっさと行こうよ」でいいんですよね。
意味はいらないんです。損得も関係ない。なんか知らんけど自分がやりたいことを、なんとなくやりたいと思ったときに、なんとなく始めればいいんです。
「なんで自分は、こんな一銭の得にもならないバカなことをやっているんだろう。ああ、でもやめられない。たって好きなんだもん」って。そんな人生は楽しいですよね。
大事なのは、自分が今、幸せな気分でいるかどうかだけです。
親は自由に生きていい
「そうは言っても、まだまだ子供のことが心配で、自分の好きなことは後回しにするしかありません」という方もおられるかと思います。
たしかに五〇代はまだこそだsでの後半戦で、心配は尽きないかもしれません。でも「この子は大丈夫だ」と信じてみませんか?
子ども心配するということは、その子のことをずっと見張っているということです。
「今日はどこに行くのか」「勉強してるか」「部屋でゲームをしていないか」・・・。ずっと心配の念を送って、行動を把握しないと気がすまない。
しかし、子どもにしろ、旦那さんにしろ、上司にしろ、部下にしろ、他人を見張っても、ろくなことはありません。
見張っていれば、一個や二個はろくでもないことが見つかるものです。「ほら、ほらぁ」「どうするのよ!」と、もうドヤ顔です。
これは、見張られる方にとっては大変迷惑な話です。
で、見張っているほうは、「私はこんなにちゃんとやっているのに」という、「我慢」があります。つまり、子どものことばかり心配している人は、自分の人生を生きていない人なのです。
自分が楽しいこと、幸せなことをやって生きていれば、子どもに対して「自分でなんとかしなさい」と言い、かまっていられないはずです。「子どもが心配で」とという人は、「あきらめる覚悟」が必要でしょう。
都都逸に「あきらめましたよ どうあきらめた あきらめきれぬと あきらめた」というのがありますが、子どもに対してあきらめきれない自分を、早くあきらめましょう(笑)。
そして、自分の好きなことを始めましょう。
子どもに「親だって自由に生きていいんだよ」ということを見せてあげるのが、五十代だと僕は思っています。
心理カウンセラー・心屋仁之助
「自分の性格を変えることで問題を解決する」という「性格リフォームの匠」として活動。『がんばっても報われない本当の理由』『「好きなことを」だけして生きていく。』(共にPHP研究所)などベストセラー多数。
出典:PHP平成28年9月17日号