有名人のコラム

水木しげるさんによる「幸せとは」と「本当にやりたいことの見つけ方」

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漫画家 故水木しげるさんの人生観、戦争で腕をなくした経験談から漫画家としての生き方

数年前に発行された、とある雑誌を手に取ると、漫画家の水木しげるさんによるコラム投稿が目に留まりました。

それは、『人と比べずに生きる ~ よそ見ばかりしていると、自分がどこにいるのかさえ見失います』という特集に書かれたものでした。

水木しげるさんは、1922年に鳥取県に生まれ、43年に召集され、爆撃により左腕を失いました。戦後は漫画家となり、「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「テレビくん」などの作品で人気を博し、2015年にお亡くなりになった方です。

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『人生をいじくりまわさない』漫画家:水木しげる

昭和18年のある日、家でのんびりと昼寝をしていた私の元に一通の通知が届いた。いわゆる赤紙、召集令状です。もしかしたら見納めになるかもしれないと、街をぶらぶらと歩いたことを思い出します。

入隊して間もなく、私は南方の島、ニューブリテイン島のラバウルへと送られることになりました。そこで私はマラリアにかかってしまい、おまけに治療していた野戦病院が爆撃にあい、左腕を失ったのです。生きているのが不思議なくらいでした。

「幸せ」なんで言葉はないほうがいい

腕を失って前線から後退した私は、島で暮らす人々と仲良くなった。五家族ほどしかいない小さな部族です。なぜか私は彼らに気に入られ、毎日のように村を訪れるようになったのです。

彼らは朝起きると、主食であるバナナを採りに行く。暖かいから、放っておいてもバナナの木はどんどん実を付ける。それは小さな部族を養うには十分な量です。そして昼間は涼しい家の中でのんびりとしている。厚い日中にわざわざ働こうなど考えない。いや、彼らにとっては労働という観念さえないのでしょう。

毎日をのんびりと暮らし、客人が来れば心からもてなす。祭りの日にはみんなで歌い踊る。ただそれだけの生活です。彼らには義務のような仕事などありません。厚いから洋服など必要ないし、食べ物も周りで採れるもので十分。もしかしたら自分の人生の目標なんていうものもないのかもしれない。それでも彼らは、とても満ち足りた表情をしていました。

彼らの中には「幸せ」という言葉はありません。それでも彼らの村には「幸せ」の空気が充満しています。それは彼らの日常生活のなかに、幸せが自然に組み込まれているからです。親子の愛情も隣人への思いやりも、すべてが生活のなかに組み込まれている。あえてこれが幸せですと取り出して確かめなくても、ほのぼのとした幸福感に包まれているんです。

「幸せ」なんていう言葉がないほうがいいと私は思います。そんな言葉があるから、人は幸せを叫ぶのです。もっと幸せになりたいと叫ぶのです。本当の幸せとは、叫んだからといって手に入るものでもない。

戦争が終わってラバウルを去るとき、彼らに引き止められました。家も建ててやるからずっと一緒に暮らさないかと。本気で私は永住しようと思いました。いろんな事情で叶いませんでしたが、私は彼らの村に流れる幸せの空気を、日本に帰国してからも思い出しながら、暮らしてきました。

やりたくないことはやらなくていい

私は小さい頃から、とにかく寝ることと食べることが大好きでした。それも普通ではないくらい好きだった。兄や弟は朝寝坊すると朝御飯を食べずに学校へ行く。私はどんなに時間がなくても、朝御飯はゆっくりと食べる。おかげで小学生の時は毎日のように二時間目からの登校でした。もちろん先生には叱られましたが、肝が極端に太かったのか全然平気でした。

というわけで勉強はさっぱりでしたが、絵を描くことは大好きでした。やりたくないことは無理にやることはない。自分にできないことは他人に任せておけばいい。小さい頃から私はそう考えていました。まあ、単にずぼらだったのかもしれませんが。

でも、好きな絵を描くことへの情熱、それだけは誰もに負けなかったと思っています。漫画が売れ出した時期、それは凄まじい忙しさでした。寝る暇も食べる暇もなく、ついには倒れてしまうほどでした。それでもなお漫画を描き続けることができた。なぜならそれは、「好きだった」からです。

自分の好きなことをやる。そのために人は生まれてきたのだと私は思っています。やりがいだとか、充実感といった言葉をよく耳にしますが、結局は自分の好きなことにしか、そういうものは見つからないような気がします。

やりたいことが見つからないという人がいますが、まずは自分が好きなことは何かを考えること。小さい頃に熱中したものを思い出すんです。

でもそれは、あくまでも自分自身で探さなくちゃダメ。他人の評価や意見なんて関係ない。わがままであってもいいんです。私のところにも、自分は漫画家に向いているでしょうかと意見を求めに来る人がいる。そういう人は、もうその時点でダメです。

自分が本当に漫画が好きなのであれば、他人の意見なんてどうでもいい。へただと言われようが、向いてないと言われようが、漫画を描き続けるものです。いや、描かなくてはいられないでしょう。

ただし、好きだからといって成功するわけじゃない。いくら情熱を傾けて努力をしても報われない人はたくさんいます。努力は人を裏切るということも知っておくことです。

それでも、好きなことに情熱を傾けている間は、きっと幸せの空気が漂っているものです。

あたふたと騒がず、自然の流れに身を委ねる

私は自分が幸福だと思っています。それは好きな道で六十年以上も奮闘して、描き続けてこられたからです。

好きなことに情熱を注いで、人生を生き切ること。うまくいく時もあれば、うまくいかない時もある。そんな時に、あたふたと騒がないほうがいい。幸福だの不幸だのといちいち口に出さないほうがいい。

人生にはいろんなことが起こって当たり前。それらに一喜一憂するのではなく、放っておくことなんです。人生をへたにいじくり回したところで、何の解決にもなりません。起きてしまった不幸は、もうどうしようもない。ならば自然の流れに身を委ねてしまったほうがいい。しょせん人間の力ではどうしようもないこともあるものです。

ラバウルの人たちは、実に分かりやすい人生を送っています。神様から与えられた人生を決していじくり回したりしません。だからこそ、幸せの空気に包まれているのでしょう。

出典:PHPプレミアム平成28年9月17日発行

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水木しげるさんによる「本当にやりたいことの見つけ方」のまとめ

水木さんはもうお亡くなりになり、直接話を聞くことはできません。しかし、ここに書かれていることは、戦争で左腕を失った経験がある水木さんだからこそ、言える言葉だと思います。

今の社会は、『子供たちはこうあるべきだとか、こういう職業に就くべきだ』というようなものがありますが、好きなことは誰かに言われてするものではなく、既に自然と自分から行っていることなのでしょう。

また、学校は二時間目からは当たり前、という小学校時代を送った水木さんですが、そのように肝が据わっていることも、枠の中には納まらない姿勢がうらやましく思います。

「自分が基準」であり「学校が基準ではない」という、それでいいんだ、ということを小さい頃から知ることができたなら、多くの人々の人生も違ったものであったかもしれないし、この国の現状も違っていたのではないかと思います。

松下幸之助さんも、夜中の2時3時まで熱中して作業をしていたことは知られていますし、それは好きでやっていたことであって、誰かに強制的にやらされていたことではありません。

要するに、好きでしていることなら、そこに「過労」とか「労働環境」などという、そういう概念は生まれてこなかったでしょうし、そのような言葉を使う人は、心の中では嫌々仕事をしていることの表れかもしれません。

もし、そのような概念が頭に浮かぶようでしたら、『本当に好きなことは何だったのか』を探してみるのもよいかもしれませんね。

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