才能を職業にして収入を得ることは、良いこと?悪いこと?
多くの人は仕事をして収入を得ていると思いますが、その仕事は自分の出来ることや得意なことなどを利用しているのではないでしょうか。
何かの資格を持っている人も、その資格を取る為に自分の記憶力という能力を生かして、勉強したことを覚えて、試験に合格しているわけです。
スポーツ選手などは、人よりも長けた運動能力を他人に見てもらうことによって、収入を得ています。
数学に強く芸術的な才能のある人は、物や建物の設計をして、その結果として出来上がった世界の中で私たちは生きているのです。
もちろん、インターネットやパソコンも同じです。誰かによるハードウェアの制作とソフトウェアのプログラミングの結果によって、世界中の人と繋がる日常を送ることができるのです。
また、想像力を言葉に表すことができる人は、作家や漫画家になったり、映画やテレビの物語を作りそれを世に送り出しています。
そして何よりびっくりなことは、有名人のご子族だからというだけで社会で特殊な地位を得られたり、特殊な血筋だからというだけで特権階級を得て、何の苦労もなく収入を得られる人もいるのです。
人は、それぞれの特殊な能力や、技術や知識を収入源にして生きていることが、一般的ではないでしょうか。
そこで、もしあなたとは違った専門能力を持った人が、その人特有の能力で収入を得ようとする場合、あなたはそれを後押ししますか?それとも、否定的な態度を取りますか?
もし、人が自分の才能や特技を生かして仕事をすることができなければ、この世の中は成立していないと思いませんか?
もちろん、それらの能力を使って必要以上に収入を得ることは、傲慢なことだと周りに見られるかもしれませんが、自分の特技を生かし不自由無く生活できるための収入を得ることのどこが間違っているでしょうか。
もし、誰かが「その才能を使わずに生きなさい」と命令を出したとき、人は生きていく糧を失います。
植物を育てることができるのも才能であり、その人たちの技術によって人は食事をすることができています。何をするにしても、人々の特技と才能の上で、わたし達全ての人の生活は成り立っているのだと思いませんか?
どんなにコンピューターの扱いが上手かったとしても、家を建てる能力、電力を作り出す能力、そして、食物を作りだす能力がなければ生きていけないのですから。
大切なことは、それぞれが持つ特技や才能を尊重することだと思います。
それぞれが、それぞれに合った能力や才能を持っていることは、何かの意味があるのだと思います。
また、他人の能力や才能を押し潰すことができるのも、また人ですけれど。。。
例えば、盲目のピアニストである辻井伸行さんは盲目ですが、彼にはピアノの才能があります。また、身体的にその外見を商品にして収入を得るモデルという職業もありますよね。手や脚の美しさで収入を得る人もいるのです。
それぞれの個人が、他の人が持ち合わせていない得意を使って収入を得ることは、間違っていますか?それとも、それは正しいことでしょうか。
自分にとっては当たり前だったり、普通な事であっても、他の人からしてみたらそれは長けた能力であり、「そう言う人を探していたんだ」と思われるかもしれない。
そのような才能や能力のある人は、世の中にはたくさんいると思いますが、それらに価値があると思ってくれる人達に上手く見いだされ、社会にとっても「欠けていたことだったんだ」と思われる日が来たら素敵ですよね。
世間では他人の得意を嫉む傾向にある人も多いようですが、きっと彼らは自分自身にも何か特殊な得意や特技があると見いだせていないのでしょう。もし、自分にも人より長けた何かの才能があるなら、他の人が持つ才能に対して「嫉み」を持つこともないですね。
人はそれぞれ違うのですから。
この国の教育は、みんなが同じでなければいけない、というような教育方針です。要するに、記憶力のある人だけが偏差値が高いと言われる学校に入学できるという制度が存在していますが、もっと個人の才能や能力を尊重して、その能力を伸ばしてく社会があるなら、人々が他人に対して持つ嫉みなどの負の感情も減ってくるのかもしれません。
私自身も、わたしが持つ他の人とは違った才能を買ってくれる組織に出会いたいと思いますし、「その能力こそ、必要としていたんだ」と思われたいですしね。
もちろん、才能や長所は年齢や性別などには全く関係ないことですから、何歳になってもそれらが開花できる社会環境になったら素晴らしいと思います。(スコットランド出身の歌手スーザン・ボイルさんは、その才能が世界に認めらえたのは50歳になってからですしね。)
また、世の中には「目に見える才能」と「目には見えない能力」の両方が存在していますが、それらがそれぞれに必要な場所で、それぞれの才能が発揮できたら、何かしらの障害があったり、世間一般的に何かしらの病名を名付けられたとしても、全ての人には何かしらの能力が発揮できるところがあると思います。

ここで忘れてはいけないことは、全ての人の才能も能力も全て神様からの賜物ですから、自分だけにある才能だからと言って、その能力を巨額の富に替えることはいかがなものかと思いますが。。。もちろん、そうやって何億も何十億も何兆円も稼ぐことができる人を、世間一般ではエリートとか富裕層などと呼ぶのでしょうが。
まあ、それは別の話ですね。
今回の記事で何が言いたいのかと言いますと、それぞれが持っている何かしらの才能や能力が誰かに必要とされ、そして、それが自分の好きなことでもあり、そこから生活が成り立つことができたら、足の引っ張り合いのような社会はなくなるのかもしれませんね。
