目の前に自分に関わる大きな問題があると、国にとっての大きな問題提示がされていても、そこに注意を払える人は少ないようです。
EV自動車とそれに関連する発電方法の問題、今後の社会の方向性を考えるとき、大きな問題になることは分かると思います。そして、そのようなことは早い段階から手を打っていかなければ、EV自動車購入量が増えてから発電をどうしようか、と議論をはじめても遅すぎる問題です。
しかし、今の状況で人々が気にしているのは、プラスチックの買い物袋とか、プラスチックスプーンなどの、目の前にある問題です。もちろん、それも大事な問題だと思いますし、自分に直接関係してくるものですから、そこにばかり注意が行ってしまうのも分かります。
しかし、目の前の問題と同じように、10年後20年後の問題にも目を向けていかなければ、10年後20年後も常に目の前の問題に悩まされることにになります。
まるで、60年代から70年代を思いだします。そのころに市場に出てきた電気自動車には、人々は目を向けなかった。その当時は、まだ高度成長期で、何事に対しても「いかに消費できるか」が大切なことであって、サステイナブルなどと言うことは頭の片隅にも無かったのでしょう。
ですからある意味、ダボス会議に意味があるのも理解できます。大衆に意見を聞いたところで、先を見据えて考えられる人はほとんどいないのです。誰かが世界の方向性を決めて進んでいくから、社会は成り立ってきたとも言えるのかもしれません。
第1回『世界標準で生きられますか』第一章① 竹中平蔵さんってどんな思考の持ち主?
世界の方向性がダボス会議で決められているように、会社の方向性は会社内のある一定の人たちで決められているのと同じです。また、この国の方向性は内閣で決められていて、それに対して国民があーだこーだ言うことは出来ても、どんな反発意見があっても関係なく決められた方向へ進んでいくのです。
どんなに多くの人が消費税に反発したところで、政府によって決められたことは着々と進んでいくのです。どんなに嫌なことでも、一度決められたら人々は徐々に抵抗しなくなる。「人のうわさは75日」ということわざがあるように、反対意見を言う人も減ってきて、新しい秩序に馴染んでいくものです。ですから、世界や国の取り決めというのは、国民の反発があろうが無かろうが、関係なく進んでいくものです。
さきほど話したように、人々はプラスチック袋問題でかなりご立腹のようですが、そもそもスーパーマーケットへいって、その買い物袋に入れる商品のほとんどがプラスチックに包まれているという現状は見えているのでしょうか?買い物袋だけ変えた所で、買い物袋の中身はすべてプラスチックです。
今回のトピックで大切なことは、車のように人々が使い捨て出来ないような商品は、10年、20年使用するわけですから、長い目で見ていく事が大切なはずです。長い目で見たときに、原子力発電を今後何十年も続けられるのか、原子力を行わないなら今後の発電をどうするのかということを検討することはとても大切なことだと思います。
始めるときには盛り上がっても、311のような事故が起きてからは遅すぎるのです。
世界は脱炭素を大きく掲げていますが、それより大切なポイントは『国内で賄える発電をすること』です。ですから、前回の記事で「空気と水による発電」をご紹介しました。

要するに、国際情勢や他国のエネルギーの供給量に左右されない国を作ることが大切だということです。それこそ、サステイナブルという意味そのものではありませんか。
そのために、水の豊富にあるこの国で「空気と水による発電」ができる車などが普及したら素晴らしいと思います。
そのサステイナブルな社会の為にも、国内での食料の自給自足率も大切であるということを以前ご紹介しました。

では、食料とエネルギーの供給が自国でできるなら、後はお金の循環も国内で行えば、問題なくスムーズに回る社会を築き上げることができるのです。お金の循環ができれば、年金制度も必要なくなり、健康保険制度も必要なくなるはずです。それは、以下の記事でご説明しましたね。
ですから、自国で維持・持続的る社会を作ることができれば、国民全員にとって暮らしやすい国を作ることができるはずです。
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あと必要なことは、上記を実行に移すだけです。
お金に関しては新しいシステムを社会に紹介し、それを永遠と回し続ける。(ソフトウェアエンジニアにそのシステムを開発してもらう必要はありますが。)
発電に関しては、既に空気と水で動く自動車が世の中に紹介されているのですから、それを再度国内で開発し生産する。
お金とエネルギーが延々と回り続けるなら、農業人口も増えるでしょうし、今後の社会において、自分の会社の給料が減ったとか、自分の今の会社の産業がなくなるかもしれない、という心配もなくなるはずです。
人は、将来への恐れがあるから現状を維持しようとし、世の中にとって良い開発も阻止しようとする動きが起きてしまうかもしれません。しかし、そこに金銭・生活の保障が月30万円づつでもベーシックインカムのような制度で供給されれば、人々の不安もなくなり、1億5千万人X30万円の金額が毎月の経済効果に繋がるのです。もちろん、月々10万でしたら、その分の経済効果は30万円の場合に比べて3分の一に縮小されますが。。。
ですから、サステイナブルというのは、環境だけに値することではないことが理解できると思います。
お金も、エネルギーも、農業も、全てにおいて当てはまることではないですか?環境だけのサステイナブルに注目したところで、お金の循環ができていなければ、この国が輸入大国である限り、お金はどんどん流出していくばかりです。それは持続可能な経済ではありませんよね?
社会の中の一か所に集中してサステイナブルを訴えるのではなく、社会全体をサステイナブルな方向に持っていかなければいけません。また、それをきちんと言葉にして説明できる政治家でなければ、国を引っ張っていく事は不可能でしょう。国民にこの国の方向性と、どのような社会になるのかのビジョンを説明できない限り、いつまでも問題の解決には繋がりません。
ですから、この国にとって大切なことは、食料・エネルギー・お金を国内で回せる国を作ることです。他国が倒れたときに、共倒れにならない国づくりをすることです。
『自立した国』を作ることが大切です。そうすれば、本当の疫病が発生しても、人の移動、物流、全てを止めても何の問題もない国を作ることができます。