有名人のコラム

第5回『世界標準で生きられますか』第三章②:日本を繁栄させたシステムがいま機能しなくなった

有名人のコラム
スポンサーリンク

『世界標準で生きられますか』なぜ日本人はだまされるのか?

今回は第5回目になる、竹中平蔵さんと阿川尚之さんにより1999年に書かれた『世界標準で生きられますか?』という本を読んでいきます。

今回の5回目で、第三章の後半、『第三章②:日本を繁栄させたシステムがいま機能しなくなった』です。

♦第一回目:第一章①「国際舞台で言葉を持たない日本人」

♦第二回目:第一章②「国際舞台で言葉を持たない日本人」

♦第三回目:第二章は「日本人はなぜ尊敬されなくなったか」

♦第四回:第三章①「日本を繁栄させたシステムがいま機能しなくなった」

スポンサーリンク

第三章②:日本を繁栄させたシステムがいま機能しなくなった

比較的短期間に人を信頼するアメリカ社会ー阿川

そのことについては、私は何回も経験があります。アメリカ人というのは他人に冷たいようだけれども、信頼できるとなったら、比較的短期間のうちに何でもありというように手放しで信頼してくれます。数年前、それまで二回だけしか会ったことのないアメリカ人の友人に電話して、泊まらせてくれるかと尋ねると、すぐ自宅のカギを渡してくれるわけです。あれは何であろうと思いますね。アメリカではそういうことが起こる。日本では普通、知り合ってすぐの人の家のカギは渡さないですね。そうじゃない人もいるかもしれませんが・・・・。

西部開拓時代からの歴史的蓄積がつくりだした精神ー竹中

たぶんそれは外的な条件の差なんだと思います。西部開拓時代から、放っておいたらこの人は死ぬかもしれないというような経験を蓄積してきたという面もあるんでしょうね。

なぜ日本人はだまされるのか? -阿川

雑誌「外交フォーラム」で山岸先生と対談したとき、アメリカ人の友人にも加わってもったのですが、彼はネブラスカの出身で、開拓時代のアメリカ人は他人に頼らざるえない状態にあって、ひとを見たら泥棒と思わないほうが生き延びられるという、経済的合理性があるんだと言っていました。

またサンドラ・デイ・オコナ―最高裁判事の生まれ故郷はアリゾナの茫漠たる砂漠地帯で、彼女は、私が日本の雑誌に頼まれてインタビューしたとき、そういう人のいないところに住んでいると他人が来るということは大変うれしいことなんだと言っていました。泊まってもらって、外部の話を聞くんだそうです。

さきほど竹中さんがおっしゃったように特別な人が頑張らなければいけない時代になって、日本人がこれからダボス会議のような国際的な舞台で外国人と交渉するときに、インド人だの、ビルマ人だの、中国人だの、アメリカ人だの、いろいろいるわけですね。いやなやつもいれば、だますやつもいる。そのなかでちゃんと信頼できるのはだれかを判断できる能力が我々にはあるのかということなんです。正直に言って、企業人もふくめていまの日本人はその能力が低いんです。4普段からそういう訓練をやっていないからです。だからつまらないことで日本の企業はだまされてしまう。私はアメリカでロイヤーとして日本企業がらみの紛争を何度か担当しましたが、どうしてこんな不祥事が起こったのですかと聞いてみると、企業の人は、現地の人間を全面的に信頼していましたと言うんです(笑)。極端な場合、悪いことをやった人間がすべて法務を任されていて契約書を書いているのですからどうしようもない。そういうことが大きな銀行でもある。

ダボス会議のようなこと、素類は知的リテラシーの問題というのは、言い換えればそういった能力をもう少し高めないと日本人はやっていけないということです。日本人同士で集まって、アメリカはけしからん、インドはけしからんと言っていても何にもならないんです。

コンペティティブではなくコンピタントたりえているかが重要―竹中

我々は、いい意味で自分自身を一生懸命磨こうとしてはしていると思うんです。けれども、我々日本人の競争というのはコンペティティブであるというところに留まっている。英語でコンペティティブというのは、一つの決められたルールのなかで、いかに競争力を持つかということですが、私はこれはあまり大きな意味はないと思うんです。

もっと重要なのはコンピタントという言葉です。コンピタントというのは、違う次元のことまで含めて、彼はどういう状況であってもやっていける人間なんだというときに、コンピタントと言う。それに対してコンペティティブというのは一つの箱の中での競争力で、我々日本人はコンペティティブで一生懸命競っているが、果たしてコンピタントでありえているかということです。

これからの人間というのは、この人間を信頼できるかどうかという、もっとベースでのジャッジメントも含めて、コンピタントにならなければいけない。情報化で、ワープロがいかに速く打てるかという問題ではなくて、情報機器はどんどん開発されていく。何がお起こるかわからないけれども、どういうイノベーションが来ても対応できるコンピタントな人間になる。そこなんだと思います。

問題に対していかに適応するかではなくて、問題を発見する能力を持つことが重要だとよく言われます。それが教育の原点ではないかという。しかしそれにはものすごくお金がかかり、時間がかかる。しかも手づくりでやらなければならない。だからこそ知的なものを認めなければいけない。知的なものに価値を見出さなければいけない。

結局我々がやってきた競争というのは読み・書き・そろばんが基本で、そんなに知的なものではなかった。訓練さえすればいいわけですから、お金をかけなくてもできる。本当にお金をかけなければそういうものが身につかない時代になったということでもあると思います。

ストリート・スマートでなければ生き延びられなー阿川

もう一つ私が思うのは、英語でストリート・スマートということを言いますね。ストリート・スマートというのは、ある状況で放出されたときに何とか生きていけるという能力のことで、日本の教育は、ストリート・スマートになるための手段や方法を教えないんです。ある集団のなかで人間関係を大事にしながら、そのなかでうまく生き延びていって、最後にトップにいく。じつは日本人というのは、集団内部ではけっこうコンペティティブなことろがあるんです。日本の企業の人と話すと、日本はぬくぬくとしていると言うけれども、そんなことは絶対ないんだとみんな言いますね。実際にそうだと思うんですか・・・・。

改良・改善でつめていく力には圧倒的なすごさがある―竹中

ある製品の重量をいかにあと一グラム減らすかというようなところでは、すごいですね。

このままでは極限状況になればパニックを起こしてしまうー阿川

けれども、そういうはっきりとした目標がある場合とは全然違った状況になったときに、果たして対応できるかということですね。例えば極端な話、我々がライオンの檻の中にポンと入れられたらどう対処するのかという、そういうことはなかなか教えてくれなかったし、やってこなかった。だから予期せぬ状況になると日本人はパニックを起こしてしまうわけです。戦争のような極限状況になったら、いまの日本では国としてもパニックを起こしてしまうでしょうね。

(続く・・・・  第6回『世界標準で生きられますか』第四章①【法の機能不全が日本をだめにする】

出典:世界標準で生きられますか (徳間文庫)

タイトルとURLをコピーしました