有名人のコラム

第6回『世界標準で生きられますか』第四章①【法の機能不全が日本をだめにする】

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『世界標準で生きられますか』法の機能不全が日本をだめにする

今回は第6回目になる、竹中平蔵さんと阿川尚之さんにより1999年に書かれた『世界標準で生きられますか?』という本を読んでいきます。

今回の6回目で、『第四章:法の機能不全が日本をだめにする』です。

♦第一回:第一章①「国際舞台で言葉を持たない日本人」

♦第二回:第一章②「国際舞台で言葉を持たない日本人」

♦第三回:第二章は「日本人はなぜ尊敬されなくなったか」

♦第四回:第三章①「日本を繁栄させたシステムがいま機能しなくなった」

♦第5回:第三章②「日本を繁栄させたシステムがいま機能しなくなった」

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第四章①【法の機能不全が日本をだめにする】

法律や行政はちゃんと機能しているか?-竹中

いまのコンペティティブの話と、法律や行政の問題がからみあった象徴的な話があります。

「日本野鳥の会」という団体があります。紅白歌合戦で紅組、白組の票を数えるので有名ですが、この日本野鳥の会は、渡り鳥がどういうふうに飛んでいくかをトレースしています。渡り鳥が北朝鮮と日本を行き来したりするのを観測しているわけですが、この観測システムはアメリカでつくられたんだそうです。鳥に発信機をつけて、それを静止衛星で追うという技術です。

このアメリカで作られた発信機を鳥につけたら、三〇グラムぐらいあるので、鳥がすぐ落ちてしまった。別にインテルサットで追わなくても、落ちていく鳥を見ればわかったという笑い話があるそうです(笑)。

ところがその発信機を日本でつくったら二グラムでできた。そこで、この発信機を使って野鳥の会の人が観測を始めようとしたら、電波法に引っかかるからだめだと郵政省から横やりが入った。なぜかというと、電波法の適用範囲は国内なんだそうです。鳥は海外に行くからだめだというのが日本の郵政省の見解だった。

そこでいろいろ知恵をめぐらせて、ウミガメでも同じような観測をやっているということがわかったので、ウミガメがよくて、どうして鳥がだめなのかと聞いたら、ウミガメは海には出るけれども外国には行かないということだった(笑)。それで鳥についても日本の外には出るけれども外国には行かないというふうに解釈してくれませんかと言ったら、じゃあそう解釈しようということでようやくOKになった。

この話にはさらに続きがあって、一応許可されたのだが、郵政省から念のために、鳥はそういうふうに行動するということを一筆書いてくれと言われて、野鳥の会の人は、念書を書いても何の意味もないけれども、それで通るんだったら書きますというので、念書を差し入れたんだそうです。これは日本の法律をいうものの、ある意味でのいいかげんさ、を象徴していると思います。

慣習法からの断絶によって成立した日本の法制度ー阿川

行政の在り方や法律に関しては、日米でずいぶんと違うところがあります。その違いを説明するのは難しくて、うまく話ができるかどうかわかりませんが、まず第一に、日本人は法律というのはどこかよそのことだと思っているところがあって、今のお話でもそうですが、法律のことがよくわからないと、普通の人はお上のところに行くわけです。お上のところでどうなんですかと聞いて、こうですと言われると、何とかなりませんかということになる。日本人は、そいうのが法律だと思っているところがある。

アメリカ人にとっての法律というのは、むしろ自分たち自身が作ってきたものであって、多くの分野で全国的な法律ができたのは比較的最近のことです。アメリカで例えば西部に町ができるときに、最初に立つのは教会と裁判所です。裁判所がある意味では町の中心だった。植民地だった初期のアメリカには行政府などなかったわけだから、お互いに裁判所へ行って結婚を登録し、あるいは離婚もそこでやり、土地の登記をやり、契約の訴えもあり、インフォーマルな問題に関しても判事の意見を聞き、同じところでときには町の寄り合いや礼拝さえしていたりなんかする。そうした身近なところから出てきた法律という感じがいまでも残っている。

日本の場合は、非常に象徴的な話ですが、明治の初めに条約改正のためにヨーロッパにならった近代的な法律系をつくったときに、最初はフランスの法律をそのまま使った。日本の事情に合わなくても、そんなことは構わないから早くつくれといって、フランスの法律をそのまま訳して、これが法律ですよとやった。いわば見せ金ならぬ見せ法ですね。

伝統の話と絡ませて言うと、日本にも鎌倉時代から江戸時代まで、貞永式目や武家諸法度など一種のコモンロー(習慣法)の体系みたいなものでずっときていたのが、明治になってかなり大胆に法制度を変えてしまった。明治という時代は、いいところがたくさんあるし、司馬遼太郎さんふうに言えばこの国の形をつくり上げた立派な人たちが大勢いたわけですが、ある意味では日本の歴史を切断するようなドラスティックなことをやった。それにも理由がいろいろあって、日本が国際社会のなかで生き延びるためには断行せざるをえなかったということかもしれませんが、その江戸から明治へ移行する時点で一ぺん伝統を切っているところがあると思います。例えば藩の伝統などはほとんどなくなってしまった。そのへんが日本の法律の不幸なところかなというふうに思います。法律や法制度が何かちょっと自分とは関係ないような感覚があるのはそういう事情からきているのではないかと思うのです。

問題が起こる前に行政府が裁量を働かす日本と、事後に法的処理をするアメリカー阿川

もう一つは、アメリカの法律的な考え方が全部いいとは思いませんが、法知識のことで言えば、さきほどの野鳥の会のような問題が出たときにはどうやって解決するのかというと、日本では念書をとるなどして、行政府の裁量で事前に決まります。ではアメリカではどうするかというと、多くの場合、事後の処理になります。渡り鳥が外国まで飛んで行って何か不都合なことが起こったら、行政府が裁判を起こすなり罰金を取るなりして処理する。それに対して処分されるほうは、いやそんなことはないと言って争うわけです。問題が起こったら事後に法的に争うというアメリカに対して、日本は、争わないことによって決めていく。

要するに問題が起こらないように予めさまざまな配慮をして法律をつくるのが行政を中心とする日本のシステムで、何でもやらせておいて、もし問題があったら後で処理するのが司法を中心とするアメリカのシステムだと。

そういう違いは、国の成り立ちと非常に関係があります。日本の場合は、明治維新のときに、欧米で国民国家という新しいタイプの国がかなり完成していたため、何が何でも同様の体制にしなければと、あわてて列強先進国にならった中央集権的な国づくりをやった。国づくりもキャッチアップだったわけです。とにかく必死になって中央政府をつくった。本当に機能するかどうかは別問題だったから、うまくいかない隙間の部分は全部官僚の裁量で決めていったのが日本ですね。これに対してアメリカは、裁判所やタウンミーティングなど地方地方の自治から出発して、そこでは解決できない問題をだんだん中央に移していった。そういう国の成立の仕方の違いがあるような気がします。

同じように皇室をいただく日英でどうして法制度がこれほど違うのか?-竹中

法制度の問題に関しては、以前からすごく素朴に疑問があります。

法律には英米法と大陸法の二つがあって、英米法は判例に基づいていて、大陸法は成文法に基づいているとよく言われます。いまのお話でいくと、アメリカがいわゆる欧米法的なのはすごくよくわかります。つまり行政府の何もないところから、裁判所が一番最初にできて、もめごとの調整をする必要があったわけですね。

それに対して日本の場合は、明治憲法は天皇様がつくってくださったかたちになっている。日本の場合は行政府も何も、それ以前に支配者がいたわけです。支配者が行政も律法も兼ねていて、そこが与えてくれたのが法律だったわけです。

日本と同様にイギリスには支配者としての王様がいた。王様のいるイギリスのようなところで、なぜアメリカと並び称される英米法というようなかたちになったのか。それが疑問です。

ローマ帝国が崩壊したあとローマから遠い国で判例法が発達した―阿川

そのことについて私はきちんと説明できませんし、ですからあまり責任は持てませんので、若干の感想だけ申し上げます。イギリスの法制度が大陸の法制度と異なるものとなった一つの背景には、おそらくローマからの距離があると思います。大陸法のもとになっているのは基本的にローマ法です。抽象的な法理念がまずあって、支配者がそれを民衆に与えてやるというかたちになります。

ローマ帝国がバラバラになったあとで教会を通じてそれが各地に広がったのですが、その影響が一番少なかったのが、ローマから遠くて海を隔てたイギリスなんです。

おもしろいことにノルマンディーではある時期まで、判例法がある程度機能していました。イギリスを支配したウィリアム征服王はこの地の出身でしたし、プランタジネット朝のころはイギリスの一部であって、ずっと判例法が残っていた。ところがフランスの王権が強くなると、ノルマンディーでの判例法の伝統が消えます。謂うなればノルマンディーはローマに近すぎて判例法の体系が残らなかったということでしょう。

コモンローと言いますが、じつはあれは王様が統一してくれたほうだからコモンなんです。イギリスの法律の歴史を見ると、ノルマン人による征服までは各地方がばらばらに裁判をやっていたわけですが、裁判が遅い、結果が予測できないといろいろ問題があった。その状態を改善するため、王様あるいは王様の家来に裁判官をやってもらって統一した判例を出すようになった。これがコモンローのオリジンなんです。

王様はしょっちゅう裁判をしてくれませんから、初期には王様に判決を出してもらうときにはお礼をしたようです。また王権が強くなると、ときには王様が勝手なことをする。恣意的しいてきな判決を下す。それに対して抵抗があって、マグナカルタをはじめ王様も国法に従い先例に従うという伝統がだんだんと確立していった。ですから王様に裁判をやってもらったということはありますが、王様も進化も判例に従ったということで判例法になるのです。

それでは、アメリカとどこが違うかというと、アメリカの場合には王がいなかったから、王のところが抜けているコモンローになっている。

もう一つ、イギリスの判例法の特徴は、王権による裁判ではあっても陪審員がいるという点です。これはノルマン人が土着の制度を尊重したものです。陪審員を使うという制度は他の国でもなかったわけではありませんが、イギリスでいちばんよく生き残った。それがアメリカへ渡ってずっと継承されたということろが英米法の一つの特徴なんでしょうね。イギリスでは陪審裁判を掲示に限ってしまいましたが、アメリカではいまだに民事でも行われています。

陪審員が出てくるということは、自分達の仲間が裁判するわけですから、比較的民衆に近い法制度と言えるでしょう。大陸法の国であるドイツなどでは参審制をやっていますが、これも普通の人が裁判にかかわるための一つの工夫でしょう。

じつは私がわからないところは、これはだれかイギリスに詳しい人に聞いてみたいのですが、イギリスのなかの自治の伝統ということです。ヘンリー八世のようなかなりの暴君が現れて、王様が強くなったにもかかわらず、フランスやプロシアの王様のように強大な絶対君主にはならなかった。例えば、ヘンリー八世がイギリス国教会を分離独立させて、カトリック勢力を迫害したときに、地方の町が教会を買ったりしているんです。例えば、クエーカー教徒なんかもそうですけれども、宗教的コミュニティがそのままアメリカへ移って繁栄したということのもともとのところには、イギリスの持つ分権的な要素があるような気がします。

固定資産税を払っているイギリスの王様―竹中

それがイギリスの王なんですね。王様が固定資産税を払っているんですから(笑)。

イギリスの白鳥は二つの家族と王室が所有しているー阿川

いまでも形式的にイギリスでは、全国の白鳥を王室とその他二つの家族で所有しているんだそうです。七月になるとテムズ川の白鳥の雛を捕まえて、くちばしに一つの刻みを入れると何々家のもので、日本刻みを入れるとなんとか家のもの、何も入れないのは王室所有になるという儀式があるんだそうで、そういう妙なものを残している。イギリスっておかしな国ですね。

日本では法律の執行にグレーゾーンがある―竹中

法律の問題でもう一つ、私が思っているのはエンフォースメント(Enforcement = 強制力、強制執行)の問題です。

私は自動車の運転免許をアメリカで取りました。向こうでずっと運転していて、日本で車に乗り始めたのはいまから二年半ぐらい前です。それで日本で運転してみて、アメリカの運転との違いに強い印象を受けた経験があります。日本で車に乗り始めたときは、まったく異文化で生活が始まったという感がしました。

日本の運転文化というのは、アメリカと比べるとちょっとこわいものがあります。アメリカでは法律で優先権がはっきり決まっています。例えば、直進車に当然優先権があるわけです。私のほのうはアメリカの感覚で当然直進車に優先権があるものだと思って運転していると、側道から出てきた車が、手を上げてちょっとお辞儀をしてどんどん本線に入ってくる。日本ではそういう譲り合いを普通にやっているわけです。これでは危なくて仕方がない。

最初は危ないと思って、びっくりしたのですが、よく考えてみたら、交通量の多い日本の道路では、優先権を認めていたら側道からの車はいつまでたっても本線に入れないことになる。そこで現実に妥協するためには、原則として優先権を認めながらも、それを穏やかに執行することによって全体がうまく回るという、ある意味ですごく日本的なシステムになっていますのです。

もう一う驚いたのは、日本の高速道路では速度違反がやり放題だということです。アメリカでは絶対にできません。なぜ日本は高速道路を一二〇キロとか一五〇キロとかでばんばん飛ばしてもだれもつかまらないのか観察したら、理由は簡単でした。アメリカの場合はパトカーが隠れる場所があるけれども、日本では隠れる場所がないんです。結局、どうも日本のなかには、エンフォース(法執行)するための体制が、システムとして入っていない。

それは善意で言えば、村社会の伝統からきていて、約束事を決めたら守るはずだ、みんないい人のはずだというのが前提になっているのだと思います。日本ではエンフォースメントの中に非常に同質な日本的カルチャーが入っているというふうに感じました。

それに関連してもう一つ言うと、道路標識がこれまた違います。アメリカでは道路標示を道路番号で表します。ストリードやドライブ、ブルバードなどとおりの名前で統一されている。ところが日本では、「ベイブリッジはこちら」と書いていたり、
「何号線」と書いていたり、目的地の表示と通りの表示がごちゃまぜになっている。「ベイブリッジはこちら」ということには、いろいろな意味が含まれている。「横浜はこちら」だということも意味しているわけで、これでは初めての人にわかるはずがありません。日本の道路は一回通ったことがある人でないと絶対通れないようになっているのです。

そういうことも含めて、共有しているデータベースがある程度同じであることを前提にしているかどうかという問題になります。そこが日本の文化と法律の接点として非常におもしろいところだと思います。

暗黙の了解が通用しなくなる時代に入ったー阿川

日本にはきちんとした法律体系があって、法治国家であることは間違いないのですけれども、一般の日本人は法律を一種の床の間のかざりみたいに思っているとよく言われます。法律はあるけれども必ずしも厳密に守らなくてもいいという、融通性があるんです。制限速度八〇キロと書いてあっても、一二〇キロまでは大丈夫だというとみんな一二〇キロで走っている。

これぐらいなら大丈夫だという、そういう民衆の知恵みたいな、暗黙の了解があって社会が動いていてる。これまではそれで比較的うまくやってきたんだと思うんです。ところが、それが国境を超えた問題になると、うまくいかなくなります。

私はアメリカで資格を取った弁護士ですから、日本の法律は扱わないのですが、頼まれて日本の弁護士さんを紹介することがあります。その一つに、アメリカ人の男性が別居した日本人の妻を相手取って、彼女が引き取った幼い子どもに会わせるよう家庭裁判所の調停を求めた事案がありました。子どもは一歳くらいでまだ小さいわけです。だんなさんは、奥さんはともかく子どもに会いたい。調停の結果は、男性が子どもに会うことを認めるという者でした。ところが、奥さんはこれに従わず、一切会わせてくれない。まったく非論理的で、アンリーズナブルなんです。

いろいろ日本の弁護士と相談してわかったことは、日本ではそういう場合に強制する手段がないということです。法律にはそういうことをしてはいけないと書いてあっても、結局自発的に従ってくれなければ何もできない。日本の法律は極めてプライベートなところまでは、入っていかないらしいのです。

この男性はすごく怒って、日本は法治国家ではないのかと私を非難する。アメリカではこういう場合警察が出ていって子どもを強制的に連れていきます。アメリカはプライバシー、プライバシーと個人の権利が強調されてる社会のように思われていますが、案外そうではない部分もある。別の例ですが、私の友人がある州に工場長として赴任して一家で移り住んだところ、子どもが新しい環境に慣れなくて、学校へ行きたくないと言い出した。ならば家で寝てろと言って子どもを学校に行かせなかったら、突然、あと何日以内に学校にやらないと逮捕するという手紙が届いた(笑)。義務教育を受けさせないと親が逮捕されるのです。ここまで行政が入ってくるのかと驚いたと言っていました。

(続く・・・・ 第7回『世界標準で生きられますか』第四章②【法の機能不全が日本をだめにする】

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