一見辛く思えることも、笑いに変えてしまう秘訣がある!笑いに変わると免疫力UP!
何か不幸なことがあったりすると、人は笑わなくなってしまします。しかし、そのような辛い状況のなかでも、何かを笑いに変えることができるなら、笑うことで免疫力が上昇するらしいのです。
そこで、医学部を卒業したお医者さんでもありながら、「笑医塾」を主宰し、笑いを広める活動を展開している笑医塾塾長の高柳和江さんのコラムをご紹介します。
高柳和江『苦しみも、ユーモアに変えられる』
ダンが入院した。カーポートの屋根から落ちて腰を強打した。おまけに左腕を二か所骨折し、入院した。半泣きの報告メールが、笑医塾塾長の私の元に入った。
「笑医塾の塾生が入院したら、一日五~十個の俳句か川柳を書いて、私に送ってくることになっています。『復活祭、ダンもはりきり 復活だ』。楽しみに待っています」と返信した。
さっそく送ってきた。「怪我をして 妻の優しさ 身にしみる」「怪我をして 人間の凄さ 認識す」。みんな「怪我をして」が発句になっている。
自分の状況を客観視してみる
「『強運の ダンを支える 俳句かな』。数が勝負です。たくさん作ってください」と気合いを入れた。毎日ダンは送ってきた。言葉を指折り数えて、川柳を練っていると知らない間に時間がたち、痛みを上手にカバーしてくれる。日にち薬といわれる骨折には、まことに良い療法だ。
作風も、だんだん変わった。自分の誕生日には、「記念日が すごく痛い こともある」とうなってきた。「振り返り 結構いいとこ あるよなあ」と自分の人生も振り返りつつ、「パトカーは 隠れていても 勤務中」と世の中をみる心の余裕が出てきた。
言葉は、その時の心の軌跡がでる。「片腕で 靴下履ける 俺やるじゃん」と、自分を鼓舞し、「運動量 少なくなっても 腹は減る」と自分を見つめている。
「良いところ 見つける努力 ワクワクと」「介護うけ 寄り添う真理 理解する」には、きっと、いい人間に浄化されているに違いないと思った。
「我一人 大笑すると 痛みさる」「少しずつ 出来ること増え 幸せに」。怪我が治っていると同時に人間味も深まってきたのがわかる。俳句と川柳は自己流でもできる。そして、感動の笑いができるのです。
誰かを「笑わせる」と幸せになる
私の弟子の一人、六十歳から花開いたQちゃんもご紹介したい。やっと、子どもたちの世話から解放されて、好きなことができる年齢になった。中卒だったQちゃんは、六十歳で通信制の高校に通い、寿大学、寿大学大学院へと進み、書道塾で学んだ。さらに、私が青森県で展開していた三日間の笑いの講習会をうけ、広めた。
この研修では、ストレスがあった時に、「大変ね」と気持ちを共有して、「でも、こう考えてみようと」と、気持ちの切り替えをする寸劇をする。Qちゃんは、主演女優のひとりだった。困ったねと頭を抱え込む役も、相手を元気づける役も得意になった。
そのQちゃんが、七十八歳で白血病になった。Qちゃんは、抗がん剤治療を明るく乗りきった。自分の治療が終わったら、点滴台を引きずりながら、各部屋を回る。その部屋ごとに笑いを振りまいてくる。「私が部屋に行くと、みんな笑うんですよ。でもね」、Qちゃんは声をひそめていう。「私より若い人が、笑わずに亡くなっていくんですよ。もっと笑えばいいのにね」。
何度再発してもへこたれなかった。その度に、同じ階の患者を笑わせてきた。そして五年。Qちゃんの容態は急変し、天国に行った。
お通夜も葬式も、彼女を慕って集まった大勢の人で埋まった。片田舎の八十三歳の専業主婦のお通夜とは思えない。病気だから、良いこともあるよ、もっと多くの人に笑いを届けることができる、と豪語していたQちゃんらしい。
家族の式辞。「かつてできなかったことを思う存分楽しめている、それが嬉しくてならなかったのでしょう。その瞳も表情も充実感でキラキラ輝いていたものです」。孫たちが「忙しいおばあちゃん、今も天国で笑いを伝えてるんだろうね。ご飯のこと、もう、気にしなくていいから」。
Qちゃんの戒名は「光笑院」。美空ひばりの歌と「笑い」と自分で揮ごうした額に囲まれ「ピンクのストールで笑顔」の遺影が輝いていた。Qちゃん本人の演出だった。
苦しいことを面白くする枝をみつけると、気がつくと心から笑っています。感動で免疫も高まります。ただ、実行あるのみです。
高柳和江・笑医塾塾長・癒しの環境研究会理事長
神戸大学医学部卒業。10年間、小児科医としてクウェート勤務の後、日本医科大学准教授などを歴任。医療法人社団葵会理事。「笑医塾」を主宰し、笑いを広める活動を展開している。著書に『笑いの威力』(西村書店)など。
出典:PHP平成28年8月10日号