有名人のコラム

京都大学iPS細胞研究所所長 山中伸弥『失敗は恥ずかしくない』

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失敗は決して恥ずかしいことではありません。悪いのは失敗ではなく、失敗を恐れて何もしないこと。

iPS細胞を発見した科学者として有名な山中伸弥やまなかしんやさんは、ノーベル賞を受賞した方として多くの人がご存じかと思いますが、そんな山中さんでも多くの挫折を経験して生きてきました。

山中さんは、挫折や失敗こそ、新たな変化へのチャンスだということを教えてくれています。そして、失敗は決して恥ずかしいことではなく、また、悪いのは失敗ではなく、失敗を恐れて何もしないこと、ということを話しています。

そこで今回は、その山中さんが自身の体験談をコラムに書いていますので、ご紹介したいと思います。

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挫折や失敗をするからこそ、新たな道が見えてきます。

好きな言葉の一つに「人間万事塞翁さいおうが馬」があります。今苦しく不幸だと思ったことが、実はよいことの始まりだったり、逆に良いことが苦しみに転じることもある。人生とは予測できないもの。また、常に変化してくものだと教える中国の故事からきた言葉です。僕自身のこれまでの人生も、まさにこの言葉通りのものでした。

最初は、整形外科医を目指していました。無事に医学部を卒業して、整形外科の研修医になれたときは、「さあ、いよいよだ!」と胸おどらせましたね。今思えば、これが「塞翁が馬」のはじまりでした。

整形外科の大事な仕事といえば手術をすることです。しかし、まず、ぼくはこれが下手だった。他の先生がやれば二十分で終わるような手術でも、ぼくがやるとどういうわけだか二時間もかかってしまう。当時の指導医は、鬼のように厳しく恐ろしい先生でしたが、よくこう言われました。

「おまえは、ほんまジャマや。ジャマナカや」

研修期間の二年間、ずっと「山中」とは呼んでもらえませんでした。自分は医者には向いていないのではないか…。あんなに意気揚々ようようとした気持ちはどこかに吹き飛び、無力感に打ちひしがれました。

ちょうどその頃、五十八歳という若さで父が亡くなりました。父はミシンの部品を作る町工場を経営する技術者。僕が高校生のときに、仕事中の事故で輸血を受け、それが原因でわずらった肝炎かんえんが悪化した末の死でした。ぼくに「医者になれ」とすすめてくれ、いつも支えてくれました。その父を亡くした寂しさも、挫折感に拍車をかけました。

悪いことの後には、必ず良いことが待っている

しかし、ここで壁にぶつかったことが、ぼくに新しい道を開いてくれたのです。それが研究者への道でした。研修医として患者さんに接するなかで、どんな名医でも治せない病気や怪我があることを目の当たりにしました。たとえば、重症のリウマチの患者さん。骨のガンで太ももから下を切断したものの、完治できなかった高校生の患者さんもいました。父の肝炎もそうでしたが、こうした難病で苦しむ方をなんとか治す方法を見つけられないだろうか。そんな思いが、日に日に大きくなっていきました。

そこで、整形外科医の道から方向転換をし、大学院の薬理学教室に入りました。最初に行った実験で、衝撃的な体験をしました。ある薬の作用を調べる実験で、事前に予測した仮説と実際に起こった結果が、全く正反対ということが起こったのです。

「えっ、なんでこんなことが!」と驚いたのと同時に、胸がワクワクしました。研究とは、なんと驚きと感動に満ちたものなのだろうか。この体験を機に、すっかり研究の世界へとのめり込んでいくことになります。

博士号取得後に渡米し、研究生活に入りました。約三年半いましたが、その間に、はじめて自分で新しい遺伝子を発見したこともあり、研究がどんどん楽しくなっていきました。

ちなみにこの遺伝子は、ES細胞と呼ばれる万能細胞の分化に関係するものとわかり、ここからはES細胞がぼくの研究テーマになりました。そのときはまだ想像もしていませんでしたが、後のiPS細胞の発見につながる大きな一歩になったのです。

いかにも順風満帆なようですが、人生、やはり「塞翁が馬」です。帰国後に二度目の大きな挫折が訪れました。当時の日本の研究環境は、恵まれていたアメリカとは大違いでした。たとえば、実験に使うマウスの世話ひとつとっても、全部自分でやらなければなりません。アメリカには世話をしてくださる専任のスタッフがいましたが、帰国してからは、毎日マウスのウンチまみれになって掃除やエサやり。自分は研究者なのかマウスの世話係なのかわからなくなってしまいました。

しかも、当時はまだES細胞の研究はほとんど理解されていません。同僚からはあまり理解してもらえず、「もうちょっと医学の役に立つことをした方がいいのでは」と言われたこともありました。「本当にこのままこの研究をしていていいのだろうか」と、うつ状態になってやる気がなくなり、朝も起きられなくなったほどです。「もう研究なんかやめてしまおうか」と思い詰めました。

ところが、ここで再び大逆転が起こりました。アメリカの研究者が人間のES細胞の作製に成功したというニュースが飛び込んできたのです。一夜にしてES細胞を使った再生医療に期待が高まりました。この研究を続けていれば、ぼくにも苦しむ患者さんの役に立てる可能性がある。そんな思いが持てるようになり、再び研究に打ち込みました。そこからはES細胞の課題を克服するべくさらに研究を続け、たどり着いたのがiPS細胞でした。二〇〇六年、ぼくは四十四歳になっていました。

どんどん挑戦し、たくさん失敗しよう

研究では仮説が外れる場合がよくあります。しかし、失敗したからこそ「なぜ」という疑問が生まれ、その原因を探って再チャレンジすることで、新しい扉が開かれてきました。どんどん試して失敗することが大切です。むしろ失敗しなければ、成功は手に入らないとさえ言っていい。iPS細胞の開発も、そうやって取り組んできた結果です。

こうした体験を通じて得たことは、挫折や失敗こそ、新たな変化へのチャンスだということ。失敗は決して恥ずかしいことではありません。悪いのは失敗ではなく、失敗を恐れて何もしないこと。考えすぎて何もやらないのが、一番良くないと思っています。

日本とアメリカ、両方の国を見て気づいたのは、日本人は、どちらかというと「なるべく失敗しないように、落ちこぼれいないように」と、直線型の人生を歩もうとする人が多いということです。一方、アメリカでは、ところどころで壁にぶつかり、くるくるとまわり道をしながら生きる回旋型の人生を良しとするようなところがあります。

たとえば、優秀な学生さんは、日本だと安定した大企業に就職しようとする人が多いと思います。一方、アメリカの場合は、優秀な人ほど冒険心旺盛でベンチャー企業に行きたがる。たとえ失敗したとしても、それで終わりではないと知っているからです。

もちろん、一つのことを一直線にコツコツやり続けることも大切です。どちらが良い、悪いではありまありません。ただ、直線型でダメなら、いつでも回旋型に切り替えて全く違うことにチャレンジし直してもいいのではと思います。実際、ぼく自身、整形外科医になろうとしていたのに、今は全く別なことをしているわけですから。

良いときは、危機のはじまりだと心得る

失敗や挫折の話ばかりしてきましたが、「塞翁が馬」の教訓で忘れてはいけないのは、良いときは、逆に危機のはじまりだということです。たとえば研究者であれば、成果が認められて研究費を獲得したようなときこそ、実は危ない。周囲から期待され、大きな成果を上げなければというプレッシャーに押し潰されてしまうこともあります。

その意味では、ぼくも今が最大の危機かもしれません。ノーベル賞をいただきましたが、もちろんこれはゴールではありません。iPS細胞の技術を開発した以上、この技術を、一日でも早く患者さんに届けるのが責務だと思っています。iPS細胞は、まだ一人の方も救ってはいないのです。六年前に設立されたCiRAサイラ(京都大学iPS細胞研究所)では、再生医療や難病治療のための創薬など、iPS細胞の医療応用という大きなビジョンを掲げ、研究を加速させています。

研究には多くの方の力が必要です。現在、CiRAには、研究者だけでなく、知財、広報、事務など研究を支えてくれるスタッフを含めて、総勢四百人以上もいます。しかし、そのうち約九割が任期付きの非正規雇用。非常に不安定な立場のまま働いてもらっているのが現状です。所長としては、これが最も心苦しいところです。国からの研究資金だけではこうした雇用にはなかなか手が回らない。

ぼくが京都マラソンや大阪マラソンに参加して走っているのは、民間からの寄付を呼びかけ、CiRAの活動にご協力いただくという意味でもあります。もっともマラソンはぼくの趣味でもあるので、楽しんでやっておりますが(笑)。

これからも、「塞翁が馬」の人生が続くでしょう。ぼくの使命は、マラソンと同じでバテずに走り続けること。良いときも悪いときも、ビジョンだけは見失わずに、前へ向かっていきたいと思っています。

京都大学iPS細胞研究所所長 山中伸弥さん

1962年、大阪市生まれ。神戸大学医学部卒業、大阪市立大学大学院医学研究科終了(博士)。米国グラッドストーン研究所博士研究員などを経て、2010年から京都大学iPS細胞研究所所長。06年、人工多能性幹(iPS)細胞をマウスの皮膚細胞から作製、翌年にはヒトの皮膚細胞からも作製に成功する。12年、ノーベル生理学・医学賞を受賞。

出典:PHP平成28年9月10日号

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山中伸弥さんの『失敗は恥ずかしくない』のまとめ

京都大学iPS細胞研究所所長 山中伸弥さんは、ノーベル賞を受賞した方ですが、そんな山中さんでも多くの挫折を経験して生きてきたんですね。

挫折とか失敗をしても、新しい道を見つけ、その道を諦めずに続けてきたから、結果が出たのですね。

周りからは順風満帆のように見えても、何かの成果を出す人々は、努力とか、挫折・失敗を繰り返してきているのだと思いました。

また、今ある道がなんか合わないな、と思ったら方向転換してみるものいいのかもしれませんね。方向転換をしてノーベル賞を取った方が言うと、後から見ればその方向転換は必要だったわけですし、山中さんが方向転換してくれたから、医療の分野でも新しい道が開けた結果になったわけですね。

何がきっかけで新しい道が開けるか分かりませんし、新しい変化こそがチャンスへの道かもしれないと教えられたコラムでしたね。

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