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『幸せになるために必要なこと』対談:解剖学者の養老孟司と作家の曽野綾子

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幸せの見つけ方:人間の脳が幸福を感じる時はどんなときなのか

今回は、「幸せになるために必要なこと」という題目で、解剖学者の養老孟司さんと作家の曽野綾子さんの対談です。

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人は、幸せになるためには何が必要なのでしょうか

まずは養老先生に伺いたいのですが、人間の脳はどのように「幸福」を認識するのでしょうか。

養老 脳のどの部分がどんな快楽を感じるかについては、随分と解明されてきています。

でも脳が快楽を関知しても、それを幸福と思うかどうかは別問題です。つまり幸福とは認識するものではなく、状態を示すものなんです。

妙な常識にこだわらない

曽野 私は不幸は実感で、幸福は観念だと思っています。自分が不幸だと感じることはいくらでもあります。でも、幸福には実感がありません。

まさに養老先生がおっしゃるように、幸福とは単に置かれた状態に過ぎない。幸せなんて幻想に過ぎないと私は思ってます。

養老 そもそも物事のマイナス面はいくらでも指摘できます。でもプラス面はなかなか指摘しにくい。煙草を吸ったらいかに悪いかは簡単に言えるけど、良い面をせつめいするのは難しいでしょ。幸福と不幸というのも、その論理に似ていますね。

曽野 もし今の日本人が幸福を探しているのだとしたら、それは幸せだからじゃないでしょうか。現実に不幸がないから、幸福感もないのだと思います。

インドなんかだと、今夜食べる物があれば幸せだと感じる。日本は恵まれているのに、その中で文句ばっかり言っている。

養老 特にオジサンたちが渋い顔をしてますよね。オバサンたちは元気なのに。

曽野 ホントそうですよね。何であんなに不機嫌そうな顔をしてるんでしょうか。

養老 こっちが聞きたいですよ。ただ、女性が適応しやすい社会になっていることは確かです。おそらく男性はそのことに気づいていない。原因が分からないから、イライラと不機嫌になるのでしょう。

曽野 先生が『バカの壁』でお書きになられているように、自分の心の中で勝手に壁をつくっている。妙な常識みたいなものにこだわっているから、いつまでも心を開放することができない。そういう男性は多いですよね。

養老 定年後に渋い顔をしている人は、だいたいそうですね。会社の中には、ある種の暗黙の了解みたいなものがあります。おかしいと思っても、守らなければならない約束事がある。それを我慢しながら三十年以上も勤めるわけです。

曽野 せっかく会社を退職したんだから、もう約束事に縛られる必要などない。もっと自由な発想をすればいいのに、それができないわけですよね。

養老 そうです。おそらく、もう妙な約束事に縛られなくてもいいだと思った瞬間に、自分の三十年が無になってしまうという恐怖に捕らわれるのだと思います。

だから、「会社時代のことなんか忘れて、もっと自由に生きればいいじゃないですか」などと言うと怒ってしまう人が多い(笑)。

曽野 自分を否定されたような気がするのでしょうね。でもその呪縛から逃れないと、人生おもしろくない。

養老 ずっと引きずっていて、それで幸せならいいのですが、なんだから不機嫌そうな顔をしている。その原因にも気づいてないという状況ですね。

日本人は真面目すぎる

曽野 私は魂の二重生活をすすめてます。会社にいるときは縛られるのは仕方がない。でも一歩会社を出たなら、自分の好きなことをやる。第一、会社に対してそんなに忠誠を誓う必要はありませんよ。会社にしてみれば、社員一人いてもいなくても同じです。

わたしもいずれ日本財団を辞めますが、私が辞めたところで財団自体は何ら変わるものではありません。「うるさいのがいなくなった」と喜ぶ人はいるでしょう(笑)。

だったら会社にたいしても、自分自身の部分売りをすればいい。サラリーマンもそう考えたほうが、妙なストレスを感じなくて済むでしょう。

養老 まったく私も同感です。でも日本人って妙に生真面目だからね。なかなか魂の二重生活がうまくできない。それに「仕事が趣味です」なんて言う人もいるから。

曽野 「自分の好きなことを見つけてください」と私が言うでしょ、そうすると「好きなことがないんです。どうすれば見つけられるんですか」と聞いてくる人がいる。

好きなことがないなんて、こんな気の毒なことはないですよね。

養老 そういう人は一度、インドでもアフリカでも行ってみればいい。最低限の生活を経験することで、何かを見つけることができるでしょう。

曽野 それも一人で行くべきです。パック旅行なんか止めて、自分の力で行く。見知らぬ土地で盗難に遭ったり、いい加減な人間に騙されたり。そういう経験からいろんなことが見えてきますからね。

いい加減さも必要である

養老 海外に行くと、日本人がいかにきっちりしているかがよく分かりますよね。特にイタリア人なんか本当にいい加減だから。

曽野 でも、そのいい加減さが面白かったりするんです。イタリアに夫婦で旅行したときに、ちいさなレストランに入ったんです。中は混み合っていて、二人分の席がなかなか見つからない。主人はせっかちだから、勝手に一人でどこかに座ってしまった。

私は若いウェイターの男の子に「主人がいなくなってしまった」と訴えた。すると彼は「たまには夫がいなくなるのもいいものですよ」とニッコリ笑うんですよ(笑)。

養老 日本人だったら律儀に「それはたいへんですね」なんて言うんでしょうね。そういう遊び心というか、心の幅みたいなものがなくなってきているのは確かです。

曽野 きっと彼らは、小さい頃から人間の醜い部分も見てきている。お姉さんが悪い男に騙されたり、親戚のおじさんが借金背負って逃げたり、人間の汚いところも見ながら育っている。

だから少々のことでは動じない強さを持っているのだと思う。今の日本はきれいな部分しか見せようとしないですから。

養老 それが「バカの壁」なんです。女を騙す男は悪い。その一言で切り捨てて、そこで思考を停止させてしまう。

確かにだますことは悪いことです。でもそこですぐ結論を出さないで、なぜ悪いのかを考えてみる。もっと言えば、その男はどうして女を騙そうをしたのかも考えてみる。人を騙すという醜い心に思いを馳せてみる。それが人間としての幅をつくるのではないでしょうか。

曽野 あんまり正論や本音ばかりでぶつかり合っていると、人間関係がギスギスしてきますよね。

養老 昔に比べて、年寄りがトボけるのが下手になってきてる。若い連中同士がギスギスしたときに、年寄りがトボけたことを言うことで、その場が上手くまとまったものです。それが今は全部ホンネになってしまって、開き直るか起こるかになってしまっている。

曽野 ある会社の社長さんは、組合が賃上げの話し合いにくると、とたんに耳が遠くなるんですって。若い女の子ならば小さな声で話すのも聞こえるけど、賃上げ要求の声は聞こえない(笑)。いいおじいさまですよねえ。そこまでトボケられると、もう笑うしかない。

養老 それが大人というものですよ。昔からよく言うでしょ。酸いも甘いも分かった人って。つまりは人の心をよく知っている。

場の空気が悪くなれば、トボケた振りをしてうまく和ませる。どうすれば人間関係がうまくいくのか、どうすればみんなが幸せになるのか、そういったことを知っているわけです。そういう意味からすれば、今は大人が少なくなった。

曽野 いい意味でのいい加減さがないんですよね。やはり職場や家族や友人との人間関係がうまくいくことは、とても幸せな状態だと思います。

その良き関係を保つためにも、じぶんからわざとズッコケルことも必要だと思います。肩肘を張ってばかりいたって、疲れるだけです。

最後にお聞きしますが、もし幸せに生きるコツがあるとすれば、教えていただきたいものですが。

曽野 人生は幸せなんかじゃない。そう腹をくくることです。それを前提に自分の好きな事をやり、小さな楽しみを日々の中から見つけること。今晩食べる物があって、温かい布団で寝られる。これ以上の幸福はないと私は思っています。

養老 自分の進退を動かせと私はいつも言っています。そして動かすことに精神を集中させてみる。これはお坊さんの修行や念仏と同じことです。その中から何かが見えてくる。自分の何かが変わってくる。

「身体を動かすことで変わってくるものがあるぞ」と私が言うと、「どう変わるんですか?」と聞く輩がいる。これでは何も分からないし、変わることもできない。「バカ。それを見つけるために動かすんだ」(笑)。

解剖学者の養老孟司さん
1937年、鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官し、同大学名誉教授に。著書に『唯脳論』(青士社、筑摩書房)『バカの壁』(新潮社)『文系の壁』(PHP研究所)など多数。大の虫好きとして知られ、絵現在も昆虫採集・標本作製を続けている。

作家の曽野綾子さん
1931年、東京生まれ。54年、聖心女子大学卒業。同年発表の「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。79年、ローマ法王庁よりヴァチカン有効十字勲章受章。95年から2005年まで日本財団会長を務める。夫は作家の三浦朱門氏。『人間の分際』(幻冬舎)、『引退しない人生』(PHP研究所)など著書多数。

出典:PHP平成28年9月17日号

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